interview

50周年記念インタビュー
安富 正幸 先生

安富正幸先生は大阪大学に長く勤められ,その後近畿大学の教授となられました.
学会創設委員である陣内傳之助先生(大阪大学)の懐刀でいらっしゃった安富先生は,
創立当初から様々な形で日本消化器外科学会の活動に参画されてこられた方です.
創立当時の思い出を中心にお話を伺いました.聞き役は日本消化器外科学会の3代目理事長であり,
安富先生の大阪大学での後輩にあたる森正樹先生です.

第47回日本消化器外科学会総会

本日は安富正幸先生をお迎えしまして日本消化器外科学会創立50周年の記念誌インタビューをさせていただくということで,どうぞよろしくお願いいたします
安富
日本消化器外科学会の創立50周年おめでとうございます.よろしくお願いいたします.
それでは最初に先生が担当されました日本消化器外科学会の総会のことについて,いろんな思い出等含めまして教えていただけますか.
安富
私が担当した総会は1996年の第47回総会で,もう22年あまり前のことでございます.総会の主題は「医学から医療への展開」ということで行いました.私は久留 勝教授(大阪大学,国立がんセンター)に憧れまして阪大の外科に入局して酵素組織化学の研究に熱中しておりました.ところが国立がんセンターが出来たとき,久留先生は病院長としてそちらへ転勤され,代わって陣内先生が教授にこられました.当時は大学紛争の真っ最中でございまして,有名な山崎豊子「白い巨塔」は阪大の外科がモデルになった小説でございます.昭和42年頃だったと思います.ちょうど消化器外科学会が出来た頃,陣内先生は「第一外科,第二外科といったような教室では駄目だ」と,もっと具体的に専門化した体制を取らなければならないという意見を出されまして教室を臓器別の体制に切り替えられました.これには教室の幹部も同窓会からも様々な批判がありましたが,これは声になりません.今考えると普通の診療科のことでそんなに大きな問題ではなかったと思うのですが,そんなことでございました.
 それで私は大腸外科の担当ということになりました.そこで人生を大腸の外科に取り込まれることとなった訳でございますが,先輩は「大腸外科なんかでは食っていけないから大学を辞めなさい」と私のところに言ってくるほど,当時は大腸の外科というのは食っていけないと言われていました.癌はありませんし,炎症性疾患も無かった訳ですから.その通りだったと思います.
 そこで大腸の外科に取り組む訳でございますが,やっぱり基礎研究に対する思い入れはひとしおのものがありましたので,総会を開くのにあたって主題を「医学から医療への展開」ということにしたのは,実はそういう裏があった訳でございます.特別講演には岸本忠三教授の「サイトカインと癌治療」と,池中一裕教授の「遺伝子治療法の現状と展開」と中村祐輔教授の「発がん機構の解明とそれに基づくがんの遺伝子治療」など,外科と関係ないような主題で特別講演を開きましたし,もちろん腹腔鏡手術や胃がんの内視鏡治療や炎症性腸炎などもございました.こういう基礎的なものを取り入れたい,私の救いにしたかったということでございます.でも当時は医療が飛躍的に進歩した時代でございまして,内視鏡の手術や腹腔鏡の手術など今までの外科医では及ばない,手が届かない手術が始まったのです.この総会は大変盛会で,活況でありました.
 でも予想外だったことがあります.日本医学会がその学会認定医専門制度を少し前に作りました.ところが日本医師会はこれに真っ向から反対しておりました.そこで同窓会の先輩に日本医学会の副会長がいたのです.その副会長に特別講演をお願いしました.何とかして欲しいということが私の気持ちであって,そういうことを言っていると思うのですが特別講演を頼んだにも関わらず,専門医制度の「せ」の字も出てこない.何もしてくれませんでした.それはやっぱり医師会が非常に強く反対していたということじゃないかと思いますけども,それが予想外だったことの一つ.
 それから当時は大阪には国際会議場が無かったものですから,大きな会議は全部ロイヤルホテルです.大阪でこれだけの会議を開くので,何とか新しい風を大阪にも入れたいと念願しまして大阪府庁の人に他に会場は無いかということを相談しました.そうしますとその人が,大阪府庁が新しいところに移り,その隣にあるアジア太平洋トレードセンターというのがあるからそこが良い,ということでそこで開きました.
 総会が終わってからみんなに訊いてみると,なんと新大阪駅からは不便だった,と言うことで,これも予想外のことでございました.その場所というのは今思い起こすと大阪府が一生懸命になって大阪万博を持ってこようと思っている所がその隣であります.そんなことが大体47回総会の思い出でございます.
ありがとうございます.先生の学会は私も若い時に参加させていただきまして,丁度アジア太平洋トレードセンターに参りましたので,ものすごく広いところだなと印象を持っております.

反対の声も上がった創立当時

50年前,消化器外科学会を作ろうという話が出まして,その時名古屋の外科学会の時に中山恒明先生,陣内先生はじめ主だった先生方が13名ぐらいでしたか,集まって消化器外科の学会を作った方が良いんじゃないかという話になったと伺っています.その当時は消化器外科と言いましてもまだ癌がメインになる前ぐらいで,多分胆石症とか今でいう一般外科の胆石症とか…….
安富
胃潰瘍とかもありましたね.
胃潰瘍,胆石症それからアッペですね,虫垂炎,そういう疾患が主で,まだ胃がんの早期発見,早期胃癌というのもその転移が明確にされていない時期で.ですから癌の治療自体がまだ黎明期の頃に消化器外科学会を作ろうという話が出てきたようにお聞きしてますけれども,大体そういう認識でよろしいでしょうか.
安富
そうですね.昭和42年でしたかね.名古屋でがん治療学会か何かの時に中山恒明先生,これが一番親分,その次に陣内先生,それから村上忠重先生,あと梶谷鐶先生の4人ぐらいです.私はその頃陣内先生のカバン持ちをしておりましたので,割合この時のことも陣内先生からずっと聞かされてきましたし,後ろに座っているともう喧々諤々に話をしておられました.
 中山先生は丁度千葉大学から東京女子医大に移られて,東京女子医大で消化器病センターを作られたんですね.中山先生は食道癌の手術で特に有名ですね.ものすごい手術が速かったらしいです.陣内先生はそれに対して癌に対する拡大手術というのを提唱されたのです.二人ともものすごく手っ取り早い手術と拡大手術でどうかと思いましたが,二人共ものすごい意見が合うんですね.その頃がんセンターは無かったし,東京では癌のことは癌研だったと言うことですから梶谷先生,中山教授,陣内教授,それから村上先生というこの4人の先生がやっぱり一番意見が合ったような気がします.
なるほど.今,中山先生のお話出ましたけれども,50年前っていうと外科学会の中にいろんな,今もサブスペシャリティーとして心臓外科,それから呼吸器外科,消化器外科はもちろん色んな科がありますけれども,当時はまだ例えば中山先生も消化器とは言うもののそれ以外の疾患も少し手がけないといけない時代だったと.それから段々段々と専門分野が決まっていきまして,ある人はもう心臓に特化してある人は呼吸器に特化し,ある人は消化器外科に特化しということで,そういうこともあって消化器外科って分野として独立した学会が必要なんじゃないかというような,そういう流れという風にお聞きしています.
安富
そういうことがあったのでしょうね.脳外科も分かれた,麻酔科も分かれた,整形外科も分かれたと.それで,それぞれ分かれたところが非常に発達していっています.発達していっているのに大学の教室だけは第一外科,第二外科というような形でやっている,これじゃ駄目だということを盛んに言われましたね.それで中山恒明教授は女子医大に移られて消化器病センターを作って,消化器病センターで消化器外科をしっかり教育して,それに対して医療練士という肩書を渡されたのですよね.
 私どもの大学では渡す肩書というのは全部医学博士.医学博士ではなくて医療錬士という臨床免許,足を得た資格を作られたということは画期的なことで,他の大学にもおそらく影響があったと思いますし,村上先生が東京医科歯科大学から順天堂大学に移られた.それで陣内先生は私立ではないし国立でどうしようもないから教室の中を細分化されました.
 食道,大腸,胃,乳腺,内分泌,肝臓と移植,胆道,膵臓,脳神経グループに分けたのです.そうすると一つのグループというのが数人以下ですね.そういうグループに分けて,今までと違う専門に特化した教室を作って発展させようということでスタートされた.そこで先生が今おっしゃったのと同じように消化器外科学会というような発想が出てきたのじゃないかと思います.
なるほど.わかりました.それともう一つ,井口先生からお聞きしたことなのですが,当時から日本外科学会には消化器外科をメインでやっている人が多くて,ですけども外科学会というのはどうしても歴史のある古い大学の教授が学会を開催される機会が多くて,それ以外の大学の人達がなかなか大きい学会をお世話する機会に乏しいと.その一方で50数年前は今のようなIT技術が無い時代ですので,地域によって情報格差があった.地方で大きい学会を主催するということは,その地方の医療の盛り上がりを見せる契機になるということで,出来るだけ主要都市以外でも学会をやった方が良いのじゃないかと,そういうことも一つの契機になるということをおっしゃっておりました.
安富
なるほど.今回の第73回日本消化器外科学会総会も鹿児島で開かれますけども,昔の外科学会であれば鹿児島には行けませんでしたね.
そうですね.今でこそ情報迅速の時代ですが,50年前はやっぱり東京の情報が地方に伝わるまでには相当な時間がかかります.日本の医療を均てん化する,あるいは地方の医療の発展という意味でも,こういう学会を地方の主だった大学の先生方にやっていただいた方が良いのじゃないかというお話もされてらっしゃいました.
安富
なるほど.あとは,消化器外科は業績をきちんと評価することなどからも盛り上がっていましたね.
それも非常に画期的ですよね.
安富
そうですね.今までは学閥的な考え方が強かったですけども,そうじゃなくなってきましたものね.
若い人にも業績次第でチャンスがあるということで,ある意味オープンで平等な学会を,というようなところも消化器外科としては非常に良いのではないかと思っています.
安富
そうですね.実際このように学会を作った時には,外科学会の内部から非常な反対があったそうです.
そうなのですか.
安富
というのは外科学会の7割が消化器外科関係.消化器外科でも十二指腸潰瘍とか胆石とか癌とか関係ない虫垂炎とかそういうのが多かったかもしれませんけども,それでも消化器外科です.だからそれが独立してしまったら外科学会をどうするつもりだと.その時に創立者の先生方が言われたのは,より専門性の高い人格・見識・業績のある消化器外科の専門医の育成を柱とすると.それが消化器外科学会だという具合に説得しておられました.
なるほど.
安富
だからこの考え方は,学歴や学閥で評価が決まるのではなくて,業績や人格というものまで入っているのですね.
すごいですね.
安富
また,日本消化器病学会という古い学会もありまして,そこからも批判がありましたね.といいますのは日本消化器病学会の三割ぐらいは外科なのですね.そしたらやっぱり包括的な学会の立場からいうと,どうだということでございまして.今は非常に内科の色彩が強くなりましたが,当時は外科の主題もありました.だからそういう世の中に消化器外科学会を立ち上げられた訳ですね.

総会テーマに込めた思い

消化器外科学会が1968年ですか,昭和43年に第1回が開催されまして,先生が主催されましたのが平成8年,1996年ということですので,28年経って第1回から28年後に先生が主催されたということですけども,先程話がありましたように第1回の頃というのはテーマとしましても,話題としましても癌の割合というのは非常に低かったと思うんですが,それから28年経って先生がされた頃にはもう癌がもうかなり前面に出てくるような時代になっていたと思います.その少し前ぐらいから安富先生が中心になられて大腸癌研究会を作られて,共通の言葉で同じ専門の人達がディスカッションできる土俵が作られてきた時代.そういう時代背景のなか,癌を深めるという意味で基礎研究も非常に重要だということから,「医学から医療への展開」というその時代の特徴を表したテーマを掲げられたと思います.テーマについて何か思い出がありましたら教えていただければと思います.
安富
この頃は映像や録音の技術が非常に進歩した時代でございまして,学会発表やディスカッションに映像が取り入れられました.そうしますと,今まで手術というのは主観的なものでしたが,他の人の手術を見て客観的にディスカッションできるようになりました.そうしますと手術は飛躍的に進歩しました.特に診断でもやっぱり進歩はいたしましたけど,外科手術での進歩は飛躍的でした.
 特にすごかったのは内視鏡の手術ですね.胃癌に対する内視鏡とか,その当時はポリープとか隆起性の癌が多かったのですが,それでも早期癌がどんどん見つかるようになってきましたから,その内視鏡の手術や腹腔鏡の手術が入って参りました.さらに進行癌に対しては化学療法とか放射線治療なんてものも入ってくる.そうしますと外科の手術,癌の手術そのものに影響が出てくる.その反面,胆石症は腹腔鏡で行われると.胃潰瘍は手術しなくていいというような時代に変わってまいりました.そうなりますと当時の手術では腹腔鏡の手術は新しいもので,従来の消化器外科医には手のつけられない領域でした.当時,消化器外科学会というのは非常に人気がある学会でして,会員数も,学会の会員数も急速に伸びていっているというようなことでございます.
今では消化器外科の領域を中心に,かなりの疾患で治療や診断のガイドラインができていますけども,この骨子になったのは先生方が作られた胃癌研究会や大腸癌研究会の取扱い規約ではないかと思っています.そういう規約によってみなさんが共通の認識,知識でディスカッションできるようになった.そんな中で先生がこの消化器外科の総会を主催された.移り変わる時代,新しいものが取り入れられる時代.ガイドラインもそうですし,それから先生が先程おっしゃった内視鏡の進歩,腹腔鏡など,時代の変革期にあった時の学会だったのじゃないかという気もします.
安富
ええ.ですので非常に人気がありました.外科をやっている人の中には,新しい風が吹いてきたからそれに向かって進まなければいけない,という雰囲気,空気がありましたね.
先生が主催された学会,例えば岸本先生,あるいは中村祐輔先生等にご講演いただいたというのは,やはりモレキュラーバイオロジー,分子生物学っていうのが丁度臨床の現場にも入ってきて,病態を分子レベルで明らかにしたいという時代になってきたからだという風に思いますが.
安富
その通りです. その基礎的な研究がどこまで臨床に影響してくるのかということですね.臨床をやる人たちがその基礎を勉強することが非常に求められた時代です.
今年,厚生労働省ががんゲノム医療中核拠点病院というのを11施設決めまして,がんゲノム医療がスタートしましたが,その本当に基礎となる考え方が生まれた時代が,先生が学会を主催された年だと認識しております.
安富
なるほどねえ.そう言われるとそうであったかもしれません.私は自分の中に基礎研究に対するこだわりがやっぱりありました.今,そうなってきていますね.
日本消化器外科学会は,外科医の集まりですから手術手技が第一義であることは間違いないと思うのですが,それに加えて病態解明をきちんと基礎レベルでもやる.そういう姿勢を示している学会でもあると認識しているんですけども.そういう点も含めて,先生が学会を大成功に導かれたことに,改めて敬意を表したいと思います.

これからの消化器外科のミッションとは

今後の消化器外科学あるいは消化器外科医に期待することを,消化器外科学会への期待も含めて先生お話しいただければ大変ありがたいです.
安富
はい.私が総会長をした時代,私の消化器外科医としての人生は,消化器外科が花形だった時代だと思います.最近では外科を志望する若い医者が減っていると聞きます.ですから学会も会員も,もっと魅力とやり甲斐のある消化器外科を作って欲しいということがもう最初の一言です.具体的な話になりますが,例えば若い医師になる人達を見ていますと約30%が女性.しかし,女性はほとんど外科を選択しないと.医師不足の昨今,女性が選択しないということじゃ駄目だから,そういうことにも配慮して外科がどうあるべきか考えて欲しいと思います.
 もう一つ今私が気にしていることがあります.昭和56年に厚生省の諮問委員会が学会認定医制協議会とかいうものを作りまして,私は当初から委員として参加していたのですが,学会が専門医を認定することに医師会が反対し,日本医学会が主導してやったのです.そうすると色んな学会,あるいは研究会が,学会になって法人化して,専門医制度を取り入れられたのです.例えば消化器外科の領域だけでも食道,胃,大腸・肛門,肝臓,胆道,膵臓といった多くの学会,医学全体の領域ではもう数え切れないほど沢山学会があって,それがみんな専門医を作っている.関連学会が細分化されている訳ですね.そんな細分化した学会それぞれが規約を作り治療のガイドラインを作って発展している訳ですよ.それらを取り入れて包括的な消化器外科のガイドラインをこれから作っていかなきゃならない.どのようなものを作るかということが一つ仕事としてあると思います.そしてそのガイドラインを今度は会員に十分に知らせて,患者さんにわかりやすく説明できるようにして,実際の診療にどこまで活かすことができるか.それは非常に難しい問題だし,これから取り組まなきゃならない問題だと思っています.
なるほど.
安富
他にもいろいろな問題がありますね.総会で取り上げられているテーマを見ますと,高齢者の問題が割合多いのです.高齢者の手術,とくに癌の手術は治療の安全性の問題とか多重疾患の問題とか家族構成や医療介護の問題,退院後の様々な問題がありますし,もう間もなく団塊の世代が後期高齢者になる時代です.日本は超高齢社会に突入していて,高齢化の問題がしばしば取り上げられていますし,これからもっと大きな問題になるのは当然のことだと思っています.日本の医療の中で高齢者医療費はもう莫大な金額になっています.それがこれからもどんどん膨らんでいきます.一方日本の財政はもう破綻状態です.今でも1,000兆ぐらいの赤字があると言われていて,破綻状態でこれを立て直すのにはどうするかディスカッションされていますけれども,まだ具体化していないと.そしてこれから,医療の世界には混合診療が入ってくるのだと思います.どんどん進歩していく医薬品にしても機械にしてもそうです.それを医療の世界にどのように取り入れて医療費を抑え,国民の負担を少なくしていけるかが非常に重要で,これは,将来は混合診療以外に無いのではないでしょうか.そういうことも念頭に置いた対応が必要じゃないかと思います.
 やっぱり根幹は消化器外科という診療科名が認められていないということです.内科・外科・消化器科というのはあるのです.より専門性の高い,人格と技術,教養のある消化器外科専門医という2階建ての制度を今度の新しい専門医制度では取り入れることになっているのですね.消化器外科学会発足時の理念と同じものが具体化されようとしているのです.ですからこれは非常に良いことです.ただ,消化器外科という診療科名がありませんからこれは入れてほしいと思いますし,それが無ければ日本消化器外科学会の会員であるというだけで,その専門性が十分認識されるような消化器外科学会にならなければいけない.学会はそういうものでならなければならないと.よくこれからはAI,ロボットの時代になると言われていて,最近の医師は病気だけを診て人を診ないと言われますけども,高度な知識,系統,技能を持って人間を診る.その人,患者さん達を,家族を含めて診察できるような消化器外科に,そういうものになって欲しい.消化器外科学会もそういう具合に発展して欲しい,という具合に思っております.大変厚かましいことを沢山申しましたが,これが私の思いです.
いえいえ,ありがとうございます.本当に有意義なお話を頂きました.一つはいかに女性医師がやり甲斐を持てるようにしていくかということ.もう一つは細分化し過ぎていると思われる領域を整理し,一方ではより高度化,一方ではある程度統合して多くの消化器外科医が活用できるようなガイドラインを作っていくということ.それからもう一つは膨張していくばかりの医療費に関して消化器外科の立場から,混合診療も含めてどういう風にしていくかということ.最後には消化器外科医の本分として病気だけではなくて本人の人間性,それから家族を含めた大きい視点からの対応が必要だと,そういうお話を頂いたという風に思います.
 安富先生からこのようにじっくりとお話を聞かせていただくことは滅多にない機会で,学会としても私個人としても大変光栄で,ありがたく思った次第でございます.安富先生におかれましては本当にお若くて,私ども本当に見習うことばかりです.益々お元気でさらに私どもをご指導いただけますようにお願いしてこのインタビューを終わらせていただきたいと思います.本当にありがとうございました.
安富
ありがとうございました.