COMMEMORATIVE TALK

第73回日本消化器外科学会総会 記念企画
理事長鼎談

第73回日本消化器外科学会総会では,日本消化器外科学会の
歴代理事長をお招きしての公開鼎談を実施いたしました.
日本消化器外科学会のこれまでとこれからを示す本鼎談の内容を公開いたします.

総合司会
ただいまより理事長鼎談を開始いたします.お名前を呼ばれた先生から御登壇をお願いいたします.

大分大学,北野正剛先生.(拍手)
医療法人社団光仁会第一病院,杉原健一先生.(拍手)
大阪大学大学院消化器外科学(※鼎談当時ご所属),森正樹先生.(拍手)
司会の瀬戸泰之先生,よろしくお願いいたします.
理事長鼎談

日本消化器外科学会創立50周年

瀬戸
皆さん,こんにちは.ただいま御紹介いただきました瀬戸でございます.今回は創立50周年記念ということでございまして,夏越会長の御厚意によりこの時間を設けさせていただきました.理事長対談ということで50分程度,50周年に当たって本学会の設立の経緯であるとか,本学会が今まで何をしてきたかということをぜひ振り返って,また未来の今後の50年を考えさせていただく機会にさせていただければと思いまして,これまで理事長を務めてこられました北野先生,杉原先生,森先生に御登壇いただきまして,しばし鼎談という形で進めさせていただきたいと思います.
 これは本学会の年表となります.ポイントごと,話題ごとに話を進めさせていただきます.
何といっても,まず1967年に日本消化器外科学会設立趣意書というのが作成されまして,1968年に発足して今年が50周年ということであります.同時に第1回日本消化器外科学会総会が開催されております.
 その当時のことを山岸三木雄先生が「十年間の歩みに因んで」ということで詳しく書かれております.1967年に13名の設立世話人の方々が発起人として名前を連ねました.中山恒明先生がその中心となられたということでございますが,山岸先生が書かれた経緯によると,昭和42年,設立世話人13名の方が集まって日本消化器外科学会設立を計画したと.実は13名の先生方の中には現在もお元気に御存命の先生がいらっしゃいまして,本日はこの後の企画で御挨拶をいただくことになっております.
 その後,全国にその設立趣意書を送りました.最終的には79人の先生方から賛同いただきまして,その中で,1967年4月12日,51名の方々が発起人会に集まりました.この後がすごいのですけれども,4月に発起人会が開催され,同じ年の7月にもう既に第1回の総会が横浜市神奈川県立音楽堂で開催されました.当初の会員が2,394名で,第1回の発表演題数が193題という記録が残っております.  本学会の特徴として,評議員の選出があると思います.これについては1975年に現行のような評議員選出施行細則が公示されまして,1980年から一斉選出が開始されます.これは例えば僕が所属している外科学会など,ほかの学会と大分違う評議員の選出になるのですけれども,この辺の消化器外科学会の特殊性というのは,北野先生いかがですか.
北野
この学会の評議員はある意味非常に専門性が高く,いろいろな知識,技術を求められる学会として,非常に格式が高くて,評議員になることが一つの私たちの目標でございましたので,私も96年になりましたけれども,そのときには大変うれしかったという気持ちがございます.
瀬戸
杉原先生,本学会の評議員制度についてはいかがですか.
杉原
基準はいろいろあって,多少問題もあると言われていることもありますけれども,基本的には非常に客観性に富んでいて,皆さんが納得いく評議員が選ばれていると思います.必ずしも会員数とか選挙とかそういうことではないので,非常にすばらしい選挙法だと思います.
瀬戸
ありがとうございます.業績本位というか,非常に客観的にそれが点数化されて,誰も文句が言えないというか,それは客観性のある選挙法であるということですけれども,森先生はいかがですか.この方針というのは今後も堅持すべきと思われますか.
非常にわかりやすくて客観性がある点が何よりいい点だと思います.その一方で,評議員の7割が大学関係,3割が一般病院というか,大学以外の病院.逆に会員数は3割が大学関係で,大学以外が7割という逆相関があるので,その辺は今後,客観的に選ばれる人たちプラス何か考えていかないといけないかなとは思っています.
瀬戸
ありがとうございます.業績本位ということで客観的に選ばれているんだけれども,それが実際に地域医療であるとか,そういったものを本当に正しく代表しているかというと,今後我々としてももう少し考えていったほうがいいのではないかという御指摘であったと思います.今回は鼎談ですので,フロアの先生方から御意見をいただく時間がございません.御意見のある先生方は事務局にメールのような形でも結構ですので,ぜひ御意見をいただければと思います.
北野
今,森前理事長がおっしゃいましたけれども,私は,やはり女性活躍の時代でございますので,女性の外科医の活躍を本会で取り上げるためにも,評議員枠というものをバランスよく考えていただければと思っています.
瀬戸
わかりました.女性外科医についてはまた後ほど触れさせていただきたいと思います.
 さて,今ここにいらっしゃる理事長先生方が一体本学会にいつ入会したかということを秘密裏に調べさせていただきました.意外な結果がここに浮かび上がるのでございます.北野先生は,御自身はいつ入会されたと思いますか.
北野
評議員になったのは96年なんです.それは覚えているのですが,入会は恐らく86~87年じゃないでしょうか.
瀬戸
1986~1987年.
北野
多分.大学院を終わって,留学して帰ってきてからじゃないかと思っています.
瀬戸
皆さん御承知のように,年齢的な順番は北野先生,杉原先生,森先生となります.杉原先生はいかがでしょうか.
杉原
というのは,私の学位研究が生理学でしたので,研究発表は主に消化器病学会でしていたような気がするんです.だから消化器外科に入ったのは遅かったかなと思います.
瀬戸
皆さんもぜひ自分がいつ入会したかというのを思い出していただくと,自分の消化器外科医としての始まりが恐らくそこにあると思いますので,ぜひ振り返ってみてください.森先生はいかがですか.
よく覚えていないのですが,昭和55年(1980年)の卒業ですので,恐らくはそれから2~3年後ではないか.1983年とか84年とかではないかなと思うのですが.
瀬戸
大体皆さんが今おっしゃられたとおりでありまして,実は北野先生がこの中で一番遅い入会になります.ちょっと意外な結果が浮き彫りになりました.
最初,2,394名から始まった本学会でありますが,本当に順調に会員数がふえてまいりました.北野先生が入られた年にちょうど会員が1万人を突破しました.その10年後(1994年)には2万人を突破する.今,2万500名ぐらいなんですけれども,大体順調に推移しました.これがそのグラフでありまして,始まりが2,394名で,1984年で1万人を突破して,1994年で2万人を突破します.ただ問題は,先生方御承知のように新入会員が最近ちょっと減ってきている.ピークの1985年には何と2,130名の新入会員があったということなのですね.ただ最近は少し低迷しておりまして,昨年は488名の新入会員があった.ちょっと減ってきているのですけれども,最近4~5年は大体500名弱ぐらいで安定はしているのですが,ひところのように多くの若者には入ってきてもらっていないというのが実情であります.