50周年記念インタビュー
小玉 正智 先生
第1回総会から参加され,20世紀最後の年となる第53回総会の会長を務められた
日本消化器外科学会名誉会長であり名誉会員でもある小玉正智先生に,
当時の懐かしい思い出話やこれからの学会の進むべき方向性などを語っていただきました.
聞き役は,日本消化器外科学会理事で財務委員長でもある大辻英吾先生です.
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語り手:小玉 正智
日本消化器外科学会 名誉会長 名誉会員
第53回日本消化器外科学会総会会長
元・滋賀医科大学大第1外科 教授 -
聞き手:大辻 英吾
日本消化器外科学会 理事
京都府立医科大学大学院 消化器外科学 教授
- 小玉
- 私は京都府立医大の外科に入って,ちょうど1968年に助手になったんですけれども,その前後から,外科学会の他に消化器外科の専門学会をつくろうといういろいろな動きがありました.中山恒明先生やいろいろな先輩の先生方が,消化器外科の専門学会が必要だということで,1968年に,横浜市立大学の山岸三木雄先生を会長として第1回が横浜で行われました.私は演題を出して参加した覚えがあり,非常に印象深い思いがあります.私は,日本外科学会とこの消化器外科学会に育てていただいたと思っております.
- 大辻
- 設立当時のことを私などは全然知りませんので,詳しくお話しいただけたらと思います.
- 小玉
- 1967年に,名古屋大学の橋本義雄先生,九州大学の井口潔先生,東京大学の羽田野茂先生や大阪大学の陣内伝之助先生が発起人で,他に10人ぐらいの方々から趣意書が出まして,消化器外科の専門学会が必要だということでスタートし,1968年に第1回が開催されました.日本消化器外科学会は,来年で50周年です.第1回以来発展して,本学会は会員が2万を超えた大きな学会になっています.
- 大辻
- そうですね,2万人を超えています.当時,この第1回の学会はどれぐらいの規模だったのでしょうか.
- 小玉
- ちょっと正確には名前や人数などは覚えておりませんが,やはり数千名という,かなり大きな会でしたね.外科の先生方は,消化器外科を主体でやっておられる方が多く,もちろん,日本外科学会は胸部外科,心臓血管や小児外科などいろいろな分野がありますが,消化器外科の方々は外科医の大部分を占めておられるので,そういった意味で,専門学会ができて第1回でしたけれども盛大な会であったというのを覚えていますね.
- 大辻
- そうですか.小玉先生が総会を開催されたのは第53回ということになっていますが,今のように1年に総会と大会を行うのではなくて,その頃は1年に2回総会があったということになりますね.
会長として第53回を主催されるまで,恐らく毎年学会に参加されたことと思いますが,第1回から参加されていた学会の会長をされるということで,他の学会とはちょっと違う思いがあるのではないかと思います.その辺をお聞かせいただけますか. - 小玉
- 私も消化器外科医としてこの学会に育てていただいたようなものですので,日本消化器外科学会総会の会長をさせていただくということは,大変光栄なことだと思っておりました.53回はちょうど20世紀最後の節目の年でありました.
- 大辻
- 1999年ですね.私も国立京都国際会館で小玉先生が盛大に開催されておられたのをよく覚えております.同門として大変喜ばしいというふうに思っておりました.
「食道がん治療とともに」という会長講演をされておられますけれども,当時の食道がんの治療というと,今とだいぶ違うところも多いんじゃないかと思うのですが.私が記憶しているところでは,以前は食道がんの患者さんの主治医になりますとすごく大変で,ちょっとしばらく休みたいような感じのするときもありました.先生は滋賀医科大学に行かれて,いかがだったのでしょうか. - 小玉
- 当時は食道がんの手術は開胸手術と開腹手術で,あるいは3領域のリンパ節郭清が原則で,非常に大きな手術過程なので,術後の呼吸管理が基本で,安定させるまで数日,下手をすると1週間とかかかりましてね.若い頃から私は食道がんがテーマでずっとそういうことに携わらせてもらって,苦労をしたのを覚えています.若い頃はもう,1週間ぐらい泊まり込みもありましたね(笑).
- 大辻
- そうですね.本当に大変だったんですけれども,最近は胸腔鏡の手術も広まってきましたし,あるいは,私どもの教室でやっているような縦隔鏡を用いた非開胸の手術も広まりつつありまして,術後の管理もだいぶ楽になって,様変わりしてきたという感じがします.
- 小玉
- 現在は食道の手術も非常に安定してきています.学会をやらせていただいた1999年は,そういった変化の時期であるという意味で,20世紀のちょうど最後の年ですので,21世紀に向けまして,20世紀の総括と次の21世紀へ向けての飛躍という学会テーマを掲げさせていただきました.
- 大辻
- それが「総括と飛躍」ということですね.20世紀の「総括」と21世紀への「飛躍」という意味の.
- 小玉
- 学会もその趣旨で,いろいろ当時の問題点と新しい分野を考えて企画させていただいたと思っています.
- 大辻
- シンポジウムなども見せていただきますと,例えば,胃がんの16番リンパ節郭清の再評価.この頃からこういった再評価を始められて,今ではもう当時とは大きく変わった考え方になりました.そういうふうに考えますと,1つの知見が明らかになるのには10年以上かかかるということがよく分かります.以前は正しいと,こうあるべきだと考えられてきたものが,変わっていく,それが繰り返されて外科学が進歩していくということなんでしょうね.先生は長い間外科医をされていますので,そういったことを肌で感じておられるのではないかと思いますが,具体的には何か変わったなということはあるでしょうか.
- 小玉
- 大体外科も100年という時代のなかで,いろいろなエポックメイキングな時期があると思いますが,ちょうど私の主催させていただいた時代で思い出すのは,内視鏡の腹腔教手術が胆嚢摘出術から始まって数年ぐらいの時期であったということです.
- 大辻
- そうですね,1990年ぐらいから始まっていますので.
- 小玉
- その腹腔鏡手術のいろいろなメリットですね.開腹手術よりも,がんに対しても郭清の点でも残らず患者に与える侵襲が非常に少ないということで,これはもう画期的な方法で,その頃からどんどん進歩してきていますね.
- 大辻
- 先生が第53回総会を開催された頃は,がんに対する腹腔鏡の手術の演題がそろそろ出始めた頃でしょうか.
- 小玉
- そうですね.ちょうどその頃はまだハンドアシストでやるという,がんに対する腹腔鏡を使った手術が始まった頃で,じゃあ腹腔鏡では開腹手術のようにリンパ節の根治性が十分できるかとか考え始めた時期だと思うんですね.それにしても,腹腔鏡手術がこれほど進歩するとは思いませんでしたね.
- 大辻
- 私もリンパ節郭清などはあまりできないんじゃないかと考えておりましたけれども,今ではむしろ腹腔鏡の手術のほうが細かい手術に適しているという見方もできるぐらいになりましたので,本当に変わってきたと思います.
- 大辻
- 今,先生が53回の総会を開催されたことについてずっとお伺いしていましたけれども,消化器外科学会自体への思いというのはいかがでしょうか.
- 小玉
- 私が学会を主催させてもらう前,26年ほど活動に関わりましたが,私が理事になり,将来構想委員会委員長を担当しましたが,前任の委員長でありました掛川暉夫先生が,これからの大きなテーマは「学会の在り方」と仰っておりました.当時は,学会が多過ぎるという批判もありまして,消化器外科学会総会も年に1回でいいのではないか,というテーマの議論が盛んでした.結局,2000年から総会は1回になり,年2回やっていた片方は,教育集会という形で当分はやっていったらどうかということで続いたのだと思います.そういった意味で,2000年は大きな一つの転換期だったと思います.
- 大辻
- なるほど.現在は夏の総会と,秋のJDDWの時に大会を行っておりますが,現在2回行われている総会と大会とも,またちょっと違った意味合いがあるかと思います今も実は理事会では総会と大会,同じものを2回ではあまり面白くないので,またそれぞれ違った在り方があるんじゃないかといった討論も行われています.
- 小玉
- それに関して,私は1つ非常に印象深いことがあるのです.私のアメリカの外科の友人で,日本外科学会の名誉会員になっておりますが,University of Louisvilleの外科のPolk教授のもとに,私の教室からも留学生が行っていました.Polk教授が,アメリカでDDWというのがあって,これはアメリカでも最大の学会だから一回見に来ないかと言われたのが1990年ぐらいでした.それで参加しましてね.そこはアメリカの消化器系の内科と外科,関連領域,肝臓や病理の方も参加する非常に大きな学会で,4日間開催されまして,大いに勉強になりました.それで,私も将来構想委員会の委員長をさせていただいて,総会は年に1回にし,2回目は教育集会にしようということになったのです.1993年頃から,もう日本でもDDW-Japanが始まっていましてね.それで,ぜひアメリカのような大きな,内科も外科も協調したDigestive Disease Weekという格好でやりたいという要請を,消化器外科学会に申し上げ,その後2010年からJDDWと名を変えた日本のDDWに,消化器外科学会も参加することとなりました.
- 大辻
- 今のJDDWの中での消化器外科学会の在り方というのは,先生が当時お考えになったようになっているのでしょうか.
- 小玉
- 私がアメリカのDDWに行った時のような形に今はなっていて,内科と外科が共同していろいろな問題を討議しやすくなりまして,非常にいい形で進んでいると思います.
- 大辻
- なるほど.恐らく,今しばらくは夏の総会,そして秋のJDDWの大会という形が続くと思うのですが,今後の消化器外科学会の在り方というのでしょうか.今,先生が,こうあるべきだ,こうあってほしいというお考えを,ぜひわれわれ現役の者にお聞かせいただけたらと思います.
- 小玉
- 1つは,今進んでいる総会とJDDWとでやっている形は,非常に理想的だと思います.ただ,じゃあJDDWにとって今の形がいいかどうかは,今後いろいろ工夫していただければと思います.
先日行われた第72回日本消化器外科学会総会での瀬戸理事長の講演にもありましたが,各国のDDWと協調できてこそ,日本の消化器外科と各国のDDWとの協調が非常にうまくいく.最近はもう若い人も,その学会の派遣の女性などが行っておられるので,いい方向で進んでいると思っています. - 大辻
- 先生,若い者に何か特別に苦言を呈することはないですか.
- 小玉
- いえいえ(笑).医療はこれからもどんどん進んでいくと思います.いろいろな先進医療も現れてきていますが,最近はそれを裏付ける,いわゆる基礎研究と臨床の架け橋をする研究がやはり少なくなっていると思います.
- 大辻
- 私もそう思います.以前,恐らく小玉先生がされた53回の頃に比べると,基礎的な発表というのもすごく少なくなりました.私も当時を思い返しますと,若い間は基礎的な研究で発表すると.そして,ある程度年がいってくると,教室のデータをまとめたようなものを発表するというのが多かったのですが,最近はもう臨床的な発表がほとんどになりました.私個人的としては,やはり医療はエビデンスベースドであるべきですので,基礎的な研究も必要だと思うのですが,その辺はいかがでしょうか.
- 小玉
- 今は専門医の志向が非常に強くなっていまして,研究を大学院に行ってやろうとか,そういった過程が少なくなりましたね.若い医師は専門医に意識が向いているために,基礎研究は少なくなっているのかもしれません.基礎をやるのが絶対だとは思いませんけれども,ある面では臨床の基礎・発展に役立っていたことが多いので,その辺のシステムは考えるべきだと思うんです.
- 大辻
- なるほど.というのは,新しい専門医制度の時にということですね.
- 小玉
- そうですね.例えばアメリカでは,外科のレジデントとして,2年の時,あるいは3年ぐらいから,給料をもらいながら研究することができるのですね.だから,日本のシステムの中で,学会がそういう人たちを経済的にサポートするとか,いろいろな工夫が必要かと思います.若い頃でないと研究もなかなかできないので.
- 大辻
- そうですね.これから次の世代の消化器外科学会を担っていく人には,基礎的な研究をする経験も必要だということですね.
- 小玉
- あとは,消化器外科学会は今,社団法人になりまして,社員が評議員で構成されますよね.評議員制度の業績・点数の評価は厳しく作られています.だから,大学にいる人でないとそういった業績を重ねられないということがあります.日本を幾つかのブロックに分けて,各地域の人を5%とか何%とか入れるといった構成も大事だし,また最近は女性の外科医も増えていますね.女性の代表を何人か評議員に入れる枠を作るとか.
- 大辻
- 現在は大学以外の先生方を評議員にしようという動きもやはりありまして,ちょっと間違っているかもしれませんが,3割は大学以外から評議員になってもらおうということになっています.
女性につきましては,実は女性の評議員が本当に少なかったのです.それで,若干ではありますけれども,数年前から特別枠として女性枠を設けて女性評議員が入るようになりました.今後は少しずつそれが増えていくんじゃないかと思います. - 小玉
- それとあと,専門医ですね.若手の教育ということもあると思うんですが,やはり専門医の生涯教育のコースを学会の中で,基礎的な必要なシンポジウムやワークショップなど,生涯教育に向けたプログラムなど少し組んでいただければと思います.
- 大辻
- なるほど.一応今は,専門医を維持するためにはそういった教育集会といいますか,eラーニングのようなものも必要になっていますけれども,もう少しそういった生涯教育としてのイベントのようなものもあったほうがいいということですね.ぜひまた理事会でもディスカッションしたいと思います.ありがとうございます.