50周年記念インタビュー
岡本 英三 先生
兵庫医科大学第一外科元教授の岡本英三先生をお招きし,お話を伺います.
岡本先生は1993年2月18日,19日の2日間にかけて行われた,第41回日本消化器外科学会総会の会長を務められました.
本日は岡本先生が担当された総会の思い出,消化器外科への思い,これからの消化器外科,消化器外科医に期待することなどを伺います.
インタビュアーは日本消化器外科学会 理事・評議員 永野浩昭先生です.
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語り手:岡本 英三
日本消化器外科学会 名誉会長 名誉会員
第41回日本消化器外科学会総会会長
兵庫医科大学名誉教授 -
聞き手:永野 浩昭
日本消化器外科学会 理事・評議員
山口大学大学院医学系研究科 消化器・腫瘍外科講座 教授
- 永野
- それでは岡本先生,最初に,第41回日本消化器外科学会総会を1993年,神戸市国際会議場で開催されたときの思い出をお話しいただけたらと思います.
- 岡本
- はい.第41会総会は演題数は932題,来場者数は4,000人を越えました.
- 永野
- 4000人ですか,すごいですね.その時期の来場者数としては1番ではないですか.
- 岡本
- その翌年に日本消化器外科学会会員の数が2万人を超えました.会場は神戸ポートアイランドのポートピアホテルを中心に神戸国際展示場1号館,2号館と国際会議場,合わせて13会場を使ってやりました.
- 永野
- 今とほとんど変わらないですね,会場の数は.
- 岡本
- そうですね.演題の募集と発表に関してはcontroversy and consensus at presentを基調とした発表に重点を置きました.言いっぱなしではなく,少なくとも現時点において,合意点と非合意点はどこにあるかということを明らかにしていただいて,次なる問題点をあぶり出す.そういう気持ちでやりました.
- 永野
- Controversy and consensus at presentは時代をだいぶ先取りされていますね.数年前から消化器外科学会のパネルディスカッションは先生の行われた形式になっています.昨今は,わざわざanswer padを配るのではなく,携帯にアプリを入れることでみんなが参加できるようになっていますね.そして,ゲームに参加するようにそれぞれの意見を提示してコンセンサスを得ています.岡本先生は,いわばそれの先取りをしていたということですね,つまり今の学会で何とかやろうとしていることを,四半世紀前に先生が先取りされてやられていた.
- 岡本
- それで,参加者4,000人,932演題を消化したわけです.総会も第41回目を数え,学会としての長期的ビジョンを持つべきだと考えて,この学会では特別パネルという形で「日本消化器外科学会の将来―21世紀に向けて―」という企画をやらせてもらいました.司会は神戸大学の齋藤洋一先生にお願いして,パネリストには藤田保健衛生大学の青木春夫教授,九大の杉町圭蔵教授,東大の森岡恭彦教授,東北大の森昌造教授,近大の安富正幸教授……安富先生は永野先生の先輩にあたる方ですね.
- 永野
- そうです.
- 岡本
- 以上の5人のパネリスト,そして特別発言を山梨医科大学の菅原克彦教授にお願いして,学術集会や学会誌のあり方,学会の法人化,JDDWへの参加の問題,認定医・専門医制度.このころ認定医はまだ各学会を通じてのものがなかったので.
- 永野
- なかったですね,はい.
- 岡本
- そういったいわば消化器外科の今後向かうべき方向について,パネルディスカッションをやってもらったのです.
- 永野
- はい.確か,学会に将来構想委員会はこの頃はまだなかったですよね.
- 岡本
- 将来構想委員会はちょうどこの頃に発足したように思います.
- 永野
- そうなんですか.
- 岡本
- はい.齋藤先生に司会をしてもらいましたが,このときの司会の言葉の中で「将来構想を検討する委員会が発足したことは誠に喜ばしいことである.この機会を捉えて会員の意見を集約するための特別パネルが企画された次第である」と,先生がちゃんと結び付けて,司会の言葉に書いてくださっています.
- 永野
- 歴代の会長が勢ぞろいされていらっしゃいます.すごいメンバーでされていましたね.
- 岡本
- 総会の一つの目玉にしようと思ったのです.
- 永野
- これは本当に重要な機会ですね.
- 岡本
- その当時から更に10年ぐらい前から,H2レセプターアンタゴニストの出現で消化性潰瘍がよく治るようになりました.それまでは胃の手術というのは半分は胃潰瘍,十二指腸潰瘍だったのがどんどん,薬で治るようになりました.また内視鏡による食道静脈瘤の硬化療法ができたでしょう.今まで食道静脈に対する,食道離断術などは消化器外科の重要な手術でしたが,それが全然なくなってしまいました.そしてそれに代わって腹腔鏡手術が登場して来ました.
- 永野
- そうですね.腹腔鏡下胆のう摘出術,いわゆるラパ胆はこの頃入って来て数年ぐらいですか.
- 岡本
- ええ.ラパ胆はless aggressive,つまりより侵襲が少ないということで,患者さんにとっても大きな福音となり,またたく間に腹腔内の全臓器に適応が拡がっていきました.その一方では血管の合併切除,臓器移植といったmore aggressiveなものも出てきて,両極端に進みつつありました.各パネリストには講演はなしで最初から討論に入ってもらいました.
- 永野
- あの先生たちが講演無しでディスカッションだけですか.重鎮の先生方ばかりですが,しゃべらせろ,という人はいませんでしたか(笑).
- 岡本
- 先生方にはよくわかっていただけて,齋藤教授の名司会のもとに,最初からテレビ討論会の形式で,非常に活発な討論を進めていただきました.
- 永野
- それは密度が濃いですね.
- 岡本
- パネルというのは大体討論に終始します.だから,記録は雑誌には残っていないと思います.
- 永野
- これをまとめられたものはないのですか,抄録だけですか.
- 岡本
- いいえ.ありがたいことに司会してくださった齋藤先生が当日のパネリストの発言内容をまとめられて,翌年の日消外会誌(27:1871―1878,1974)に「特別寄稿」として詳細に記述してくださっているのです.
- 永野
- 貴重な記録ですね.
- 岡本
- この特別パネルディスカッションを総会の一つの目玉としました.それからもう一つの目玉は,手術手技に関するシンポやパネルは手技を実際に目に見せていただけないと駄目だと考え,恐らくこれが最初だと思いますが,シネ・シンポジウムとビデオパネルディスカッションをやりました.シネシンポのテーマが「消化器癌手術における拡大リンパ節郭清(消化管)」と「消化器癌手術における拡大リンパ節郭清(肝,胆,膵)」,それから「消化器外科領域における血管外科の応用」.ビデオパネルは「新しい手術手技の工夫」,「基本的手術手技の再検討」,それから「消化器外科領域におけるstapling device(機械吻合)の応用」,そういうものをやらせていただきました.
それからもう一つ,消化器病学会近畿支部の支部長を兵庫医大の第四内科下山教授(故人)がやっていて,「内視鏡でできるおなかの手術」をテーマに共催で市民公開講座をやりました.講演は食道・胃のがんについては,北里大学の比企能樹先生,大腸がんについては東京慈恵医大の内視鏡外科の鈴木博昭先生,胆石については帝京大学の山川達郎先生にそれぞれ講演をお願いしました.これがなかなか好評でした. - 永野
- ところで,岡本先生は会長講演で「肝癌の病態と治療―教室20年の歩み―」をテーマにお話されていますね.わが国の肝がん治療の大重鎮のご講演はどのようなものだったのでしょうか.
- 岡本
- 会長講演では「肝癌の病態と治療―教室20年の歩み―」という演題で,1973年の教室創設以来20年間に経験した肝癌551例の肝切除症例の検討から,肝癌の病態と外科的治療に関する研究成績を述べました.まず担癌肝の90%は肝硬変を頂点とする慢性肝疾患を合併しており,これが肝切除の安全性を著しく阻害しているのですが,教室では1980年末,病態肝の肝切除安全限界を予測する重回帰式を確立して以来,術後肝不全による死亡を皆無となしえたことを述べました.次いで肝癌の流出静脈は肝静脈ではなく門脈であり,かつ腫瘍内圧の亢進が肝内転移形成の原因であることを明らかにしたこと,そしてこの病態に即して,たとえ区域・亜区域レベルの小範囲切除であっても,担癌門脈枝を含むグリソン枝一括処理を先行する系統的肝切除術式の必要性を述べました.門脈侵襲(Vp,IM因子)と癌の核DNA量ならびに切除の治癒度が5生率を左右する主要な予後因子ですが,10年生存率で見ますと,治癒的切除が最も重要な因子であることが明らかとなったというようなことを講演いたしました
- 永野
- 今ほど治療の選択肢もない時代ですからね.
- 岡本
- 1980年代後半からCTや超音波,あるいはMRIなどの画像診断機器の機能が飛躍的に向上してきました.これでもって肝癌の高危険度群,ほとんどがC型慢性肝炎,肝硬変――当時はnonAnonBと言っていました――の選択的集検の普及によりましてどんどん小さな肝癌が見つかり外科へ送られてくるようになって来ました.癌治療の鉄則である早期診断・早期治療がようやく肝癌でも実現したわけです.しかしこれは同時に肝臓外科医に大きな試練を与えられることになったのです.何故なら胃癌など他の消化器癌と違って,硬変合併肝癌では「小さく見つけて大きくとる」ことは解剖学的にはともかく機能的には適用できないのです.その解決策として,「小さく見つけて肝機能の許容範囲内で出来るだけ大きく,かつ根治的に」切除することを心がけました.こうして,肝門部でグリソン系脈管一括処理を先行する系統的区域・亜区域切除,つまり担癌グリソン枝を選択的処理する手技の開発となったわけです.
- 永野
- 大きく治療法が進歩していた時代だったのですね.
- 岡本
- C型が見つかったのは1980年代でしたか.
- 永野
- 88~89年頃ですか.
- 岡本
- 取っても,取っても再発してくるということが一番問題でした.その原因がC型慢性肝炎ウイルスの持続感染による再,再々度発症であったわけです.しかし,最近ではこのC型肝炎ウイルスをやっつけられる薬剤も出てきましたね.
- 永野
- DAA製剤ですね.インターフェロンの時代に比べると,ものすごく成績がいいです.
- 岡本
- そうですか.2000年に定年になってもう18年ですよ.もう,私87です.
- 永野
- 87歳には見えないです(笑).
- 永野
- 次に,日本消化器外科学会に対する思いや,これまで先生が作られ,発展させてきたことに対する思いなどお伺いできますか.
- 岡本
- 定年後18年,今は老健施設の施設長も辞めて,顧問をしています.消化器外科に対する思いということで,何を言ったらいいかと思って悩んでいました.私たちのころは,消化器外科といっても消化器全般を診ていましたが,今は消化器外科の中でもさらに細分化しているでしょう.肝・胆・膵,それから上部消化管,下部消化管とね.これからの消化器外科を目指す人たちに伝えたいのは,大学にいる限りはいいけれども,一般病院に出たら,肝胆膵の手術しかやれないというわけにはいかないということです.消化器外科というのは,外科の基本だと思います.まずその基本をしっかり身につけていただきたいです.
- 永野
- 残念ながら,現在はなかなかそのとおりにはいっていません.
- 岡本
- 永野先生は山口大学の消化器外科全般をやっていますか.
- 永野
- はい,そうです.消化器外科と乳腺外科の教室で,乳がんは乳腺外科の担当がいるのですが,消化器全般を診ることになります.特に地方は専門性があるのは大学ぐらいで.
- 岡本
- 話が少し外れますけれども,私が日消外総会をやったのは1993年ですが,その翌年に私は病院長になったのです.平成6年,1994年でした.鏡視下手術は今では普通というか標準手技じゃないですか.
- 永野
- はい,そうですね.
- 岡本
- ところがその年,腹腔鏡下手術の保険適用をめぐって厚生省から2度目の待ったがかかって大変だったのですよ! 1980年代後半でしたよね,腹腔鏡による胆嚢摘出術がフランスの外科医によって開発されたのは.この「ラパ胆」はご存知のように開腹による胆摘に比べ,各段に低侵襲ですね.術後の痛みは軽いし,翌日に食事開始,2,3日で退院できる画期的な手術ということで,患者さんにも大きな福音となり瞬く間に米国そして全世界に普及しました.さらにこれに使う手術器具がどんどん工夫・改良され,胆摘以外のいろんな手術にも競って腹腔鏡下手術が適用されていきました.腹腔鏡下手術――今は鏡視下手術というんですか――が我が国に導入されるのに時間はかかりませんでしたが,その保険適用にからんで厚生省から二度も待ったがかかったんですよ!
- 永野
- そうだったんですか.
- 岡本
- 一度目は平成3年,ラパ胆の手術料を開腹による胆摘術に準じて請求していたのを健康保険法違反に問われまして,全国の実施施設が次々に摘発され,残りの施設は自主返還という罰則が科せられました.ところが平成3年の春,突如保険適用が認められたんです.これは日米貿易是正と絡めての措置だと言われています.当時鏡視下手術の高価な器具ー式は全部アメリカから輸入していましたからね.
- 永野
- そうなんですか,それは全然知りませんでした.
- 岡本
- 二度目は鏡視下手術の胆摘術以外への適応拡大を咎めたもので,兵庫医大がその槍玉に挙げられたんです.当時は腹腔鏡下胆摘が保険適用となったのに勢いを得て,鏡視下手術は胆摘のみにとどまらず,胃や大腸の手術にも応用,また胸腔鏡を用いて肺や食道へと全国的に適応が拡大して行きました.各地に研究会ができ,1991年には日本内視鏡研究会が発足し,間もなく学会に昇格するなどその勢いは燎原の火を見るごとき感がありました.
一方,厚生省にとっては腹腔鏡胆摘に際してあれだけ注意しておいたのにまだ懲りないのかと言うわけです.兵庫医大は折悪しく一罰百戒の犠牲にされた感があります.厚生省の追求は厳しく,一時は保険医療停止処分も止む無しというところまで来て,病院長たる私は窮地に立たされました.しかし私は低侵襲・低コストの鏡視下手術がその適応を拡大するのは自然の流れであり,医療の本質からしても決して誤っているとは思えない.ここは厚生省にその本質を理解してもらうしかない,そのためには小手先を弄さず誠意をもって正面から折衝するしかないと決心し,時の病院事務長と共に何度も厚生省へ出向きました.当時の兵庫県医師会長の瀬尾摂先生(故人),また日本医師会副会長の糸氏英吉先生のお二人は阪大の先輩に当たりますので非常に心配してくださり,医師会の立場から,また東大外科の出月康夫教授は学会の立場から,それぞれ強力に掛け合ってくださったのが大きな支えとなりました.調査は厚生省から県医務局に引き継がれ,とうとう年が明け,1月17 日あの阪神淡路大震災が起こりました.兵庫医大は甚大な被害を受け,調査は中断いたしました.
平成7年3月,ついに厚生省の岡光次官から呼び出しがかかりました.同次官から言われたのは「厚生省も不勉強であった.ここは痛み分けにしよう」でありました.そしてそれまで胆摘にしか認められていなかった鏡視下手術の保険適用が一挙に17種類の手術に拡大されました.あれから24年,今では鏡視下手術が外科手術の主流として定着して益々進歩しつつある姿を見るとき,感慨無量のものがあります. - 永野
- 少し言い方は悪いですけれども,正々堂々と受けて立たれたわけですよね,もめ事をしっかりと正面から.そのおかげで,今こうした流れになっている.先生,その話は皆さんあまり知らないですよ.それを私は何とか皆さんにお伝えしたいと思います.
- 永野
- 最後に,消化器外科の将来についてお考えを伺えますか.
- 岡本
- 消化器外科学会の将来についてですが,現役を引退して18年の私には近年の消化器外科学の進歩にはただ目を見張るばかりです.特に鏡視下手術の手技の進化向上による適応拡大の勢いは驚くばかりです.おそらく在来の開腹手術のすべてが鏡視下手術を中心とした低侵襲手術によって置き換わっていくのではないでしょうか.
また近年の分子遺伝学の進歩も目覚ましいものがあり,遺伝子治療もまだ実験段階ですが始められていると聞いています.できるだけ近い将来,臨床に応用できる日の近からんことを祈っています.
また学会のグローバル化に向かって2012年第24回日本肝胆膵外科学会(会長:兵庫医大,藤元治朗教授)でまず手始めにビデオシンポジウムを国際シンポとして,発表・討論すべてを英語でおこないました.続いて2015 年の第27回(会長:東邦大,金子弘真教授)では60%,第29回では第6回アジア太平洋肝胆膵外科学会との合同開催で100%英語発表・討論が達成されたと聞いています.日本消化器外科も優れた研究成果をグローバルに発信することを考えてゆくべきではないでしょうか. - 永野
- ありがとうございます.
- 岡本
- この頃は昔と違って,初期研修でもトレーニングはかなり実地にやらせているのですか.
- 永野
- 科によってだいぶ違いがありますが,できるだけ若い人には早くから手術に参加してもらいたいというのがあって,基本的には,多分昭和の時代に比べると,ある程度参加できるようになっています.
- 岡本
- 研究はどうなっているのですか.大学院に行かないとできない?
- 永野
- やはり大学院に行かないと難しいと思います.
- 岡本
- 大学院に.
- 永野
- はい.
- 岡本
- 学位はみんな取っているのですか.
- 永野
- 大学によって考え方が違うと思いますが,例えば私の前任地の大阪大学だとほぼ100%です.多分いろいろな大学がそれを目指しているのではないかと思います.山口に移ってからも,できるだけみんなが学位を取れるように考えています.たしかに臨床からは少し離れることにはなるのですが,少しでも科学的なものの考え方を身に付ける時期があってもいいかなと考えています.
- 岡本
- 学位についてですが,私は臨床教室においては「診療」即「研究」であり,「診療(手術も含む)から生じた疑問を研究によって解明し,研究によって得た成果は臨床に応用・還元できるものでなければならぬ」を信条としてきました.教授や先輩の言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけません.認定医,専門医取得を優先し,余裕があれば学位を取られるのがいいと考えます.よく「学位というのは足の裏の飯粒のようなもので,取らないでもどうということはないがやはり取らないと気持ちが悪い」,もう一つ落ちがついて「取ったところで食えない」というのがあります.これはもちろんジョークですが,真理を突いていると思います.
- 永野
- 私もそう思います.
- 岡本
- 手術職人になってはいけないと思います.やはり,アカデミックマインドを持って,病態,生理をよくわきまえた上で手術をすべきだと思います.
- 永野
- まさにおっしゃるとおりだと思います.
- 岡本
- そういうトレーニングは大事だと思います.
- 永野
- 先生みたいな手術の達人にそれを言っていただけるとそのお言葉は重いです.日本の肝臓外科の手術で引っ張ってこられた先生に研究も重要であると言っていただけると,若い外科医は胸に染みると思います.臨床医も常に勉強を続けなければ駄目だと思ってくれると,こんなありがたい話はないと思います.
- 岡本
- やはり医学は科学であるわけですから,科学的マインドを養成する意味でも学位を取るということは,一つのステップとして考えるべきです.もちろんトレーニングも必要ですが.
- 永野
- 本当に先生にそう仰っていただいて,心に響くものがありました.ありがとうございます.
- 岡本
- 消化器外科の将来について,なかなかお話できることがないですね.
- 永野
- いえいえ,先生,素晴らしいお話をしていただきました.研究の重要性もありますし,内視鏡の手術のこともあります.少し,今までみんなが思っていたようなこととは,ちょっと違った視点で考えられていたのだと.そういった意味では,本当に素晴らしいお話しでした.ありがとうございます.
そういうことで,本日は岡本英三名誉会長に昔の総会の話と消化器外科医にかける思いを語っていただきました.お話を形に残して,若い外科医にもよく伝えたいと思います.どうもありがとうございました. - 岡本
- ありがとうございました.