50周年記念インタビュー
森岡 恭彦 先生
森岡恭彦先生は昭和天皇の手術の執刀医を務めた外科医であり,
本学会では第36回日本消化器外科学会総会の会長を務めていただきました.
学会の各企画に込めた思いや,当時と現在を眺めて考えるこれからの外科医のあり方,学会のあり方についてお話を伺います.
聞き役は日本消化器外科学会第4代理事長の瀬戸泰之先生です.
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語り手: 森岡 恭彦
日本消化器外科学会 名誉会長 名誉会員
東京大学 名誉教授 -
聞き手: 瀬戸 泰之
日本消化器外科学会 4代目理事長
東京大学大学院医学系研究科 消化管外科学 教授
- 瀬戸
- 今回は,1990年7月5日,6日の2日間にわたって,東京の京王プラザで第36回日本消化器外科学会総会を開催された森岡恭彦先生にお越しいただきました.まず最初に先生が担当された日本消化器外科学会総会の思い出というか,苦労話,裏話などをお伺いできればと思います.
- 森岡
- よろしくお願いします.その当時は今と違って,学会事務局が主として運営をすることはなくて,ほぼ教室で運営をしていました.
- 瀬戸
- そうすると学会の抄録なども全部,先生がこれは採用,これは不採用といった形で教室で選考されていたのですか.
- 森岡
- その頃は各グループがあって,その中で分担してやりました.ただ特別講演や会長講演,それから外国人を7人ぐらい招待しましたので,そういうのは私がスタッフと相談して対応するという形式でした.もう30年前ですが,そんなに苦労したということはなくて,比較的スムーズにいったと思います.
- 瀬戸
- 今と違って例えばメールのやりとりもなくて,Web登録もなかった時代ですよね.僕はそのときは卒業して6年目で,森岡先生の下で学位の研究をやっていたので,ほとんどその総会の開催に貢献できることはなかったのですが,紙ベースでやりとりするというのは,かなり大変なことだったのではないかと思います.
- 森岡
- その頃はそれが普通でしたからね.ただやりとりするだけですから,それがそんなに大変だという気は皆さんなかったと思います.思い出として苦労したことは一つあって,外国人を呼ぶ時に,だいたい私のところの医局員が留学してお世話になった外国の先生方を主に呼んだのですが,肝移植で世界的に有名なThomas.E.Starzlという先生がいて,日本によく来られていてその当時引っ張りだこでした.その先生をお呼びしようというときに,いろいろ条件をつけられましてね,それをクリアするために頭をひねったことをいまだに覚えています.まあ,結局最後は来ていただけましたが.あとはだいたい皆さんにいろいろお願いして,引き受けていただきました.
- 瀬戸
- Starzl先生は当時の肝移植の世界の大家ということで,第一外科からも先生が勉強に行かれたのですか?
- 森岡
- 私が知っている人だと2人くらい行ったかな.Starzl先生のところには,日本人は20人以上行ったのではないですか.そういう高名な先生で,ぜひお呼びしようということで招待しました.当時一番の問題はお金が足りなくなると困るということで,いろいろなところに寄付をお願いしました.お陰様でそれほど金銭的にきついという感じはしなくて,製薬企業も当時は比較的拠出してくださって,そういう苦労はあまりなかったですね.
- 瀬戸
- 森岡先生がひと言かけると,「はい,分かりました!」という感じでしょうね(笑).今は本当に厳しくて,学会の運営自体もだんだん製薬企業に頼ってはいけないという方向になっています.
- 森岡
- 時代ですよね.
- 瀬戸
- 先生は「肝切除300例の歩み-27年間の教室の経験から-」というタイトルで会長講演をなさいました.
- 森岡
- 私は東大にいた頃は肝移植をやったり,それから肝臓の外科をやろうということで始めた頃はその一端に加わっていて,自治医科大学に行ってからはずっと肝臓の手術に興味をもって,あとは膵臓ですね.当時,肝胆膵というのは診断学がどんどん進んできた時代で,それまではほとんど手がついていなかったんです.そういう時代ですから,だいぶ苦労していろいろやりました.当時,肝胆膵をやった人のほとんどは,誰か上の人に習ったというのではないですね.みんな自分たちで開発して,私なんかもそうでしたが,おっかなびっくり手術しながら,どんどん新しいことをやってきました.
結局,肝切除の右葉切除や広範囲の切除,それも安全にやるのが第一ですよね.そのためには肝臓の場合は出血を何とかセーブするということで,いろいろな方法をやりました.それから日本の肝癌は肝硬変を合併していて,どの程度,肝臓組織を採っていいかというのが問題です.それもある検査で目標をつくって,このへんなら安全だろうということでやりました.私はその頃の活動を通じて肝臓の手術に関しては安全にできるところまでもっていけたと思っています.そういうことを含めて第一外科で300例くらい肝切除をやっていたので,そのデータを基に会長講演をいたしました. - 瀬戸
- 300例というのは,当時の症例数としては多いほうでしたか.
- 森岡
- これは肝癌だけではなくてほかのも入っていますが,その当時としては比較的多いほうだったと思います.
- 瀬戸
- 総会自体のテーマというのは,今だったら「温故知新」とかありますが,その当時は何でしたか.
- 森岡
- 特に内容を縛るようなテーマはありませんでした.シンポジウムやワークショップではいくつか私の考えていたことをテーマとしてやって,特に癌の手術が主でした.癌手術というのは当時,膵臓の切除もけっこう安全にできるようになっていたのですが,癌手術の成績をどうするかが問題で,それには転移の問題が一番大きいですね.癌は局所にあるうちは切除したら治るわけですが,リンパ節にどのくらい転移しているか、あるいはどのくらい郭清するか.当時はまだ拡大郭清が主流で,皆さん一生懸命やっておられました,そういう転移の問題をやりました.あとは手術を安全にやるということで,術後の周術期の栄養や代謝の問題.これも東大の外科では一生懸命やってきていたので,そういう問題をシンポジウムやワークショップで取り上げさせていただきました.
- 瀬戸
- 当時のプログラムを見ても,シンポジウムとしては消化器癌転移のメカニズム,あるいは食道癌のリンパ節転移,大腸癌の血行性転移ということで,癌の転移に着目されたシンポジウムを企画されています.あとは,パネルディスカッションとしても,今お話しいただいた消化器外科における栄養・代謝管理,あるいは当時,潰瘍性大腸炎が注目されていました.
- 森岡
- そうですね.
- 瀬戸
- 僕も若い頃,いわゆるUC(ulcerative colitis)の手術に,もちろん鈎引きとして入ったのですが,そういったことが本当に思い出されますね.あとは先生が選ばれた中では,感染症ですね.術後の安全性という意味で,感染症の病態と対策が取り上げられていましたが,当時としては術後の感染症というのはどうだったんでしょう.
- 森岡
- これは東大の第一外科では伝統的にそういうことを一生懸命やるグループがありまして,感染症は今でも手術のあとは合併症が一番大きな問題になるところですが,化学療法だけでなく,免疫や抵抗で,いかにそれを防ぐか.そういうことを一生懸命やられていましたので,それをシンポジウムで取り上げました.
- 瀬戸
- ということは当時としてはかなり転移であるとか,安全性に着目された学会をやられたわけですね.また,消化器外科学会はかなり大きな学会ですし,ある意味お祭り的なところもあって,会長による会長招聘であるとか全員懇親会などがありますが,そういうことはいかがでしたか.
- 森岡
- 当時,紛争以来,学会は派手に宴会をやっている!という批判もあって,なるべく質素にやろうと思っていましたが,さすがにやめるわけにもいかなかった(笑).宴会をやって,デューク・エイセスを呼んで,そういう出し物をしたことを思い出します.ごく普通に,お付き合い程度のことはやっていました.
- 瀬戸
- 最近の学会運営も資金的な問題があったり,いろいろな問題があって.
- 森岡
- でも,いまだに招宴はやっていますね.拡大プログラム委員会という名目で(笑).
- 瀬戸
- そうですね.会長の立場からすると,自分の時に止めるのも本当に難しいですね.
- 森岡
- 国際学会でも儀礼的に簡単なパーティはやりますしね.ただ,派手にやることはないように聞いています.しかし,いざやるほうになると張り切ってしまって,特に地方の先生は,経済の活性化ではないですが,そういうことでアトラクションなど一生懸命やられていますね.
- 瀬戸
- 1990年当時の総会についてお話を伺いました.次に,名誉会長として,日本消化器外科学会への思いというか苦言というか,最近の学会を見て何かご意見があればお聞かせください.
- 森岡
- 学会というのは,私たちの頃と性格がずいぶん変わってきました.というのは,私の頃は学問的な発表の場で,意見交換が主だったというか,それがすべてでした.ところが,今では専門医制度ができて,そうすると専門医の資格を担保しなければならないし,そういう人たちの生活の向上に努めなければならないという問題が起こってきて,大きな学会では非常にそれが問題になっています.
ですから,その面ではどうなのか,ちょっと心配はあるのですが,例えば専門医制度も厳しくやらないと学会の体質が問われて,日本の専門医に対する信頼度が低くなるといった問題もある.アメリカでは専門医制度を厳しくやったから医学が発達したという意見もあるので,その点をしっかりとやることが大きな問題になってくると思います. - 瀬戸
- 昔,学会というのは学術的な存在で,研究成果や手術成績等を発表する場,それをみんなが学ぶ場だったのですが,ご指摘いただいたように現在は社会的な側面が非常に大事になってきて,専門医制度もそうですし,最近よくいわれる労働環境というのも学会の仕事というか,学会に期待されていることです.先日,日本医学会連合でもそういう会議がありまして,医学連合も本来であればアカデミックな団体であるのに,昨今はそういった労働環境の整備も期待されるようになりました.
先生としても,本学会も学術的なことのみならず,そういったところもしっかり重要視していかなければいけないとお考えですか. - 森岡
- そうせざるを得ないということで,それから最近よくいわれている外科医のなり手が少ないとか,そういう問題も対処しなければならない.前に比べて,大変なことになってきているのだろうと思います.
- 瀬戸
- 確かに先生が会長をされた36回のシンポジウムなどのテーマの中にそうした社会的なことは,なかなかなかったように思います.
- 森岡
- ほとんど,考えもしていなかったですね.
- 瀬戸
- 最近は,あとはNational Clinical Database,ビッグデータの扱いとか.
- 森岡
- もう30年たっていますから(笑).
- 瀬戸
- 世の中が変わってきたということですかね.実は世界的に見ると,消化器外科に特化した学会というのはあまりなくて,外科学会とかいわゆるGeneral Surgeonとしての団体はあるのですが,先生のご経験ではどうですか.
- 森岡
- 日本は特有なんでしょうか.非常に専門的な学会が多いです.例えば面白いのですが,日本では臨床外科学会というものがある.外科というのは臨床ではないのかと(笑).それから消化器だけではなく最近は肝胆膵外科学会とか,そのようにどんどん分化して学会ができてくるのは日本特有で,それは国柄ですかね.そういう点があると思います.例えば臨床外科なんていうのは,外科学会そのものが最初の頃はネズミ,ウサギとか実験的なものがかなり演題として多かったので,それに対する一つの反発もあったのだろうと思います.
ヨーロッパの場合,外科学会は臨床のことばかりやっていて,そのほかに実験外科学会というものがある.だから,日本はそういう点は特殊で,それでも各学会いろいろやっているわけで,全体的にはすっきりしないところがあるのですが,やむを得ないところもあると思います.どこまで専門化するかが問題にはなってきますが,今は大学もほとんど専門分化して,大きな病院でも専門の診療科がどんどんできてくるし,やはりお国柄ではないかと思います.おそらく外国ではGeneral Surgery,一般外科というので,かなり広範囲にやっている方が多いのではないかと思います. - 瀬戸
- 先生はフランスにも留学されて,あちらの事情にもお詳しいですし,外科の近代科学の始まりにも造詣の深い先生でいらっしゃいます.疾病構造そのものが変わってきて,外科に対して影響が出ているのではないかと思うのですが,どのようにお考えですか.
- 森岡
- それは診療科の分化と関係があるかどうか分かりませんが,ただ消化器外科領域も対象疾患が変わってきていることは確かです.私が医者になったのは1956年ですが,その頃は肺結核の肺切除や,もちろん虫垂炎も多かったですね.炎症というのはそのうちだんだんなくなってきて,結核はもう手術はないし,虫垂炎も減ってきている.そういうのが一つあります.
それからもっと劇的なのは,胃・十二指腸潰瘍の胃切除はずっと明治,大正の頃から行われて,われわれのときも多く行われていました.開業している先生で,300~400例くらい年間に胃切除をやっている先生がいて,近所の住民はみんな胃がないので「無胃村」だと(笑).そのくらい行われていました.
その後,第1回の山岸先生の迷走神経切除,その手術が入ってきた.そちらに移り変わるかなと思って,私もそういう手術をやったりしていましたが,そのうちにH2ブロッカーやナトリウムポンプの阻害薬が出てきて,あっという間に全部内科で治るようになった.そして手術は今ではもう,ほとんどなくなった.そういうのもありますね.あとは,癌の手術が残った問題になってきました.癌も今後どうなるか,よく分からないところがあるのですが,一つは先生ご専門の胃癌なんかは,もうピロリがある程度いなくなれば,胃癌はほとんどいなくなる. - 瀬戸
- われわれも要らなくなるのではないかと(笑).
- 森岡
- 本当にそういうことが言われたり,それから肝臓癌なんかも肝炎のもとにできるということで,使い捨ての針を使ったり輸血を防いだりということでB型肝炎,C型肝炎はもうほとんどブロックされて,ほぼなくなるのではないかという予想があるのですが,一方で昔は無害だった脂肪肝から癌ができるということも出てきた.また,なぜか知らないけれども,大腸癌が増えている.
ただ,手術そのものは早期診断が出て手術成績がよくなっているのではないかということがあって,原則的には早期に見つけて早期に切除すれば治るのですが,早期診断というのは症状がないのにやるわけですから,今後スクリーニングがまだまだ発展していく可能性があるだろうと思います.
それから一番大きな問題は,癌が薬で治るという時代がくると,消化器外科医は失業するというか,要らなくなってしまう. - 瀬戸
- 絶滅危惧種かもしれない.
- 森岡
- そういうことをみんな考えているのですが,意外にこれがならないですね.
- 瀬戸
- ゲノム医療の専門家に聞いてみたことがありますが「いや,手術がなくなることはないでしょう」と言っていました.われわれにとってはありがたい言葉で.
- 森岡
- 今,癌腫の患者の高齢化の問題が増えていて,しばらくは患者が増える可能性があるのですが,将来的にどうなるか.確かに最近,化学療法や免疫療法は,昔に比べればけっこう効くというんですね.だけど,根治するまでいくかといわれると,まだ分からない.だから,昔からそう思っているのですが,本当に薬で癌が治る時代が来るのか.もし来れば,消化器外科学会は解散する(笑).そういう可能性もありますね.
- 瀬戸
- 確かに会長先生が選ばれるシンポジウムやテーマにしてもそうですが,時代の流れが出てきて,そこには疾病構造の変化も見てとれるのではないかと思います.また本学会の話に戻ると,専門医制度があります.新しい外科専門医制度がこの4月から始まって,消化器外科の専門医もサブスペシャルティ領域で2階建て部分になります.
特に本学会の専門医制度は規範となるというか,本当に素晴らしい専門医制度を先人のご尽力によって構築,確立されているのですが,だんだん世の流れとしては,消化器外科が昔考えていた専門医と,今要求されている専門医はちょっと微妙にずれているところもあります.基本的には消化器外科を目指す者は全員,専門医になるべきだという機構のほうの考え方ですが,先生はいかがお考えですか. - 森岡
- 本当に消化器外科という専門医が必要かどうか.世界的に見れば,General Surgeryというのはだいたい消化器外科を受診している人が多いです.ですから,消化器だけ特定してやるとなると外科医の上の二重構造になって,それなりに厳しくやらなければならないと思います.必要かどうかという問題は,日本の診療形態によります.今みたいに大きな病院で診療科別に分化していると,こういう消化器外科の専門医をはっきりするのも必要かなという気はしますが,問題はどういうところに基準を設けるか.
- 瀬戸
- そうですね,それが大きいですね.
- 森岡
- それと,外科医がどの程度必要かというのがあります.最近は,外科医のなり手が少なくて不足だとみんな危機感をもっていますが,30年ちょっと前ぐらいに,厚生省が6月の1カ月間に日本の診療所と病院で手術がどのくらいやられているか,統計を出しました.簡単な手術ですが,例えば胃切除や虫垂炎などいくつかあって,その統計があって,日本でどのくらい手術をやられているかを計算して,外科医の数がどのくらい,日に2人で全身麻酔の手術を5~6回やって,など大まかに計算してみたことがあるのですが,外科医はそんなに数は要らないのです.現実にはもったいない事に外科を修了した人が十分な手術数をやっていないというか,そういう問題がある.それから当時も調べたのですが,大学の外科に属して,50歳になって手術をやめている人が半分近くいる.東大でも,このあいだ見たものでは3分の1くらいの人はおそらく手術をしていないです.そういう無駄がある.
それともう一つは,これはいいのか悪いのか分かりませんが,外科医が内視鏡をやったりいろいろ検査をします.これは本当に手術だけ特化してやれば,もう少し暇ができるのではないか.それから術後管理なども,外国に行った人は分かると思うのですが,手術をやったあとは,外科医はあまりやらなくてもいいようになっています.ところが日本では,そこは家族との関係などがあって,割り切ってできないなどの問題などがあるでしょうし,それから雑用が多いですね.教授などもそうですが,文書を書いたりなどがやたら多いので,そういう業務改善を大きくすればいいのではないでしょうか.
最大の問題は,せっかく手術の腕があるのに辞めてしまうことで,これはどうすればいいか.外科医そのものに職業的な魅力がないといえばそれっきりなのですが,そういうロスがある.
それからもう一つは,おそらく今でも専門医で問題があると思うのですが,社会性を考えると,地域による偏在をどのようになくしていくかなど,そのような問題があります. - 瀬戸
- 確かに学会というのは学術集団だけではなくて,社会的な存在でもあるという意味でも,そういうことを考えていかなければいけないと思いますし,そういう意味では今言われているのが高度な手術は集約化すべきだと.
- 森岡
- 社会的なことに手を出すと,そういうことを考えざるを得なくなってしまう.だから,極端なことをいえば,日本は小さな病院でも大きな病院と同じような手術をいっぱいやりますが,それを集約的にやればかなり解決する問題もあるわけで,そういうシステムにもよるんですね.
- 瀬戸
- ただ,心臓血管外科や脳外などおそらくそういったことを進めやすい領域もありますが,一方でわれわれGeneral Surgeonはどうしてもヘルニア,ヘモ,アッペの類から,それこそ膵臓癌,肝臓癌,食道癌と幅が広くて,ほかの病気に比べるとかなり難しい.ただ集約化してもいい術式もあるのではないか.
- 森岡
- 一般の人の認識によりますね.例えば甲状腺なんていうのは甲状腺専門病院があるでしょう.ああいうところにみんな行くわけです.
- 瀬戸
- 行きますね.
- 森岡
- それから乳癌もそうです.だんだん集約化が進むというのは,みんなの認識もあるのでしょうね.
- 瀬戸
- ただ流れとしては,ある程度,学会としても考えなければいけない.
- 森岡
- 一般病院でも,総合病院というのはいろいろな人がいると,コンビニと同じで便利です.そういうのもあるから何とも言えないところがあるのですが,難しい手術は集約的にどこかでやるとか,そういうことも考えたらいい.
- 瀬戸
- もう一つ大事なのは専門医制度が絡むのですが,学会として教育をどうするか.例えば専門医制度についていろいろなプログラムというかカリキュラムを学会が提示して,これをこなした人に専門医としての資格を授与しようと.ただ,そうすると教育というのがかなり難しくなります.
- 森岡
- 消化器は胃や大腸といろいろ分かれているので,みんなローテートするのですが,そうするとそういう教育は習っていないですよね.ですから,そういう点は確かに苦労すると思います.
- 瀬戸
- 僕は森岡先生に手術を教わった身ですが,昔はヘルニア,ヘモ,アッペから始まって,胆石の手術をやって,胃をやって,それからより高度なという流れがあった.今はもう腹腔鏡で胆摘もやるし,はっきり言えばヘルニアも腹腔鏡でやる時代になると,どうやって教育したらいいか.あとは,開腹手術を知らない若手外科医がいる.「胆摘なんて開腹でやったことがありません」という若手外科医が本当に出てきて,教育が難しい.こういう時代の教育というのは先生,何かお考えはありますか.
- 森岡
- どうしたらいいか,難しい問題ですね.私は特に今どうしろという意見はないけれども,現役の人はやはり考えるでしょうね(笑).内視鏡下手術が始まったのは,僕が定年になる頃ですか.
- 瀬戸
- ラパ胆がそろそろ入ってきた頃です.
- 森岡
- ラパ胆が一番先で,フランスでやっていたから,88年かその頃で,この学会があったちょっと前ぐらいですね.だから,まだそういう問題があった.
- 瀬戸
- 今はそういう問題が出てきて,教育をどうしていくかというのも大きな問題なのですが,本当にきょうは森岡先生に貴重なお話を伺うことができました.
- 瀬戸
- 最後に,現役に向かって苦言というか,こうしたほうがいいのではないかということがありましたら.
- 森岡
- 外科医が少ないとかいろいろなことを言いますが,結局,人のために役に立つというか,そういうことをやろうという気持ちを持つ.医者という職業はそれに尽きると思います.3Kできつくてつらくてなんて,そんなことはどんな職業でもみんな同じです.だから,そういうことではなくて,こういうことをやって役に立とうとか,人のために働こうとか,もっとそういうことを中心に物事を考えたらいいと思います.
- 瀬戸
- それが今の若者にはなかなか,若者の今の気質というか.医学部は受験でも人気があります.
- 森岡
- どうして人気があるのですかね.
- 瀬戸
- 昔は,そういう気持ちをもった人間が医学部を受験した.最近は,成績がいいと医学部を受験する.
- 森岡
- これはどんな職業でも同じだと思うのですが,自分のために働くとかそういうことを主体に考えると,その人自身が人生を不幸にするというか,人のために一生懸命やることで自分が豊かな人生を送れる.そういう考えを,全体的に皆さんが持つというのが必要なのではないですか.
- 瀬戸
- まさしく今われわれが問われているというか,若者にも伝えたいお言葉をいただきました.どうもありがとうございました.