interview

50周年記念インタビュー
井出 博子 先生

第33回日本消化器外科学会総会の思い出

野村
消化器外科学会の活動の中で思い出深いものはありますか.
井手
消化器外科学会の総会をしたのは,うちでは中山教授が,第3回かしら.あと羽生教授がちょうどあなたが卒業した年,平成元年に第33回の会長をされたんですよ.その頃は消化器外科学会総会は2月と7月,年に2回やっていて,それで羽生先生は2月だったのです.ところがその年,天皇陛下が崩御されて,それが1月7日ごろで.羽生先生は会場にホテルオークラを取っていたんですけど,突然,お国から国賓が滞在するのにホテルオークラは治安上都合がいいからそこは使っては駄目だと言われて,じゃあ地下でやりましょうと言ったらやれるもんならやってみろとか言われてね.
野村
そんなことがあったんですか.
井手
それで羽生先生困っちゃって,ちょうど大喪の礼の日に当たったのですけど,2月に朝から予約してたところが駄目になっちゃって,じゃあ開催を4月にしようかと言ったらその次の先生の掛川教授が,4月にやってすぐ7月の総会は困るって言われて.結局会場がなくて困っていたら,京王プラザホテルが使ってもいいですよって言ってくれて,それで羽生先生がまるごと借りて.ご葬儀は新宿御苑のほうであったと思うのですけど,そっち側はカーテンをして,おとなしく学会をしました.街はほとんど人も歩いてないっていうような2月に第33回総会をやったのですよね.そのときはひやひやしたのですけど,ともかくやるのやらないの,会場が没収されちゃったのってすごい大変だったんですよ.
野村
覚えています.私は大学6年生で森岡教授のところを実習に回ってるときに,ちょうど森岡教授と,そのとき武藤先生,助教授でいらっしゃったんですけど,天皇陛下の手術だって言って行かれたのを,ちょうど私も実習に行ってたのでよく覚えてます.国家試験勉強でひいひい言っていた頃ですね,そうなると.
井手
消化器外科学会で一番大変だったのはそのときでした.
野村
それは大変ですよ,そんな直前に会場がなくなったらえらいことですよ.だって会場って3年ぐらい前から取っているんですよね.
井手
取っていたんだけど,それを政府が押さえちゃって,やれるもんならやってみろとか言われて.だって偉い人が廊下を通るとみんな通行止めになるでしょう.だから駄目だって言われて.
野村
そうですか.私はまだ知らない時代です.いつから消化器外科に参加させてもらうようになったのかよく覚えていないですね.卒後1年目か2年目ぐらいには行ったのではないかなと思うんですけどね.
井手
私も最初はいろんな学会に金魚のふんみたいについて行って.
野村
そうです.私もついて行った人です.
井手
いつからっていうのは覚えていないけど.でもやっぱりだんだん年を食ってくると学会に発表しないといけない感じがしてくる.
野村
ありますよね,なんか発表しないといけないっていう感じにはなりますよね.
井手
1月と2月ぐらい,あと8月ぐらいが何もしないでいいとき.その後半年前の学会をしょっちゅう考えてね.
野村
大変ですよね.苦しいのは消化器外科学会だけじゃないですからね.
井手
外科学会,胸部外科とかがん治とかいろいろありますよね.
野村
毎月のように何か考えていなきゃならないですよ.
井手
今は幸福ですよ.そういった発表とか締切はなんにもないです.
野村
うらやましいです.でも先生なんか毎回ご招待があるでしょう.引っ張りだこじゃないですか.
井手
そんなことはないですよ.この前徳島で特別発言を英語でやれなんて言われたから,もうこの次からは断ろうと思って.あのころから英語オンリーになったでしょう.
野村
だんだん英語になっていっていますよね.
井手
中山先生がつくった国際食道疾患会議っていうのがあるのですよ.それは女子医大に1980年から2005年までは女子医大に事務局があって,だから25年ぐらい,インターナショナル学会の総事務局が女子医大にあったのですよ.いろいろ雑用したり,新聞を発行したりとかいろんなことやっていたんです.今はカナダのほうにあるのですけどね.北川教授は今,食道学会の,インターナショナルの会長で,今度ウィーンで16回の会長やられるのですけどね.あと4年後,2022年に日本に呼んでこようかっていう話があるのです.2020年は40周年になるから,このあいだの消化器外科50周年で呼んだ外国の先生が何かやろうって話が持ち上がっているらしいんですよね.それで今度行くとき,事務局の東京オフィスに私昔からいるもので,いろんな資料とか問い合わせがあったりするのですけど,その責任者みたいなのも今やっているものですから,いつまでもつか分かんないですけど.
野村
お忙しくなるのじゃないですか.
井手
インターナショナルの学会にも行くのですけど,私よりも上の先生は全然来なくなっちゃって.
野村
ええ,そうなのですか.それはさびしいですよね.
井手
海外の先生は結構年いった,昔の先生もお見えになるのですけど,日本人はなかなか年取ったら海外旅行に行かないですね.
野村
それは面倒になってしまうのですかね.それか動けなくなってしまうのですかね.先生は同年代に比べてもお元気ですね.
井手
そうですかね.
野村
お元気ですよ.女性のほうが長生きじゃないですか.
井手
そうですね.ただまぁいつまでもつか.
野村
いやいや,まだ全然お若いじゃないですか.
井手
だからしょうがないから,面倒見られるだけ面倒見ようかなと思ってるんですよね.
野村
是非よろしくお願いします.本当お元気です.

定年後の仕事

野村
女子医大をお辞めになられたのは何年なのですか.
井手
定年だから,2003年ですね.平成15年です.
野村
その後,先生は切るのは止められたんですか.
井手
私がフォローしていた患者さんで,大学病院で,あなた何しに来たの,もういいんじゃないなんて言われちゃ困るだろうから,今勤めている浜町のほうに50人ぐらい外来に来てもらって,15年経っても2,30人はまだ生きているのです.だんだん高齢になるからいろんな別のことも面倒見ますけど,ある程度そういう患者さんのフォローをして長生きさせるというか.浜町で見つけた癌は東医療センターって第二病院のほうに行って手術を,2年ぐらい前まではやっていました.
野村
すごいですね.
井手
だけど私も体調とかいろいろあったものですから,去年は一例だけ,喉頭切除というような,後の始末っていうか,誤嚥する患者さんがいらしたのでそういう手術は一緒にやりましたけど,今年はやってません.
野村
残念ですね.まだやってらっしゃるって聞いて一度先生の手術を見に行きたいなあと思ったのですけど,やらないのですか.
井手
前立ちして,第二病院の先生に教えるような形で十何例かは終わってからやりましたけど.最初は20例ぐらいやりましたけど,だんだん数が減っていますから.
野村
先生は教授であられたときもいっぱい教えましたか,下にやらせて前立ちということですよね.
井手
教えながら,前立ちっていうのはやる場合もありますけど,やっぱりチーム制が崩れちゃったので,そうすると前立ちが,医療練士っていうか5,6年の人になったりするわけです.そうすると任せられないでしょう.
野村
きついですね.
井手
チームと一緒に組んで,前のチームと先生が前立ちすると,結構なところまで攻められるのですけど,そうじゃない場合には合併症を起こさないように気を付けて,教えながらやるってことなので,あまり下の人に任せるということはなくなりましたね.グループで組んでいるときは順番にやりました.
野村
そうですね,いつも決まったメンバーでやられるのだとね.
井手
そうするとどこら辺まで攻めるとかいろんなことが分かっているからやりやすいんですけどね.
野村
あんまり若い人が第一助手でやると,場ができないので大変ですよね,術者としてやるのもね.
井手
ある程度教えながらやるしかないのだけど,食道って視野が狭くて覗き込まなきゃなんないから,みんな見えないんですね.
野村
第二助手なんかになると全然見えないですよね.
井手
先生は内視鏡の手術はいつごろから.
野村
そうですね,最近はあまり内視鏡外科の手術はしていないのですが,黎明期にたくさんやりましたね.片柳先生がいらっしゃっていた友愛記念病院が,国内で3番目ぐらいにラパ胆を始めた病院だったのですよ.ですので当時はラパ胆をやりまくったんですよね.その後大学に戻ってきて,そのころはまだラパマーゲンとかなかったのですけど,東大分院の外科で初めてラパマーゲンがうまくいったのが私と私の同級生でやった症例でした.ですので,ちょっと今とは違いますね.今は結構中で縫ったりとかしますけど,当時はそうはいかなかったので.
井手
だから私はある程度手術創を小さくして道具を長くして,ライトを入れて,というような形で手術をするのが,最後のほうに,若い先生でも術後管理がうまくいくように,それが一番,患者さんを巧緻性を失わないで助けられるっていうのを工夫してきたつもりなのですけどね.今は内視鏡手術が主流なので.
野村
そうですね.ただ最近になって思うのですが,意外と若い人,内視鏡手術のほうがやさしいのかもしれないと思うのです.
井手
そうですね.
野村
かえって開けてやるというのは若い人にとっては,慣れてないせいかもしれないのですが難しそうですね.
井手
これから若い外科医の教育がどういうふうになっていくかは,ちょっと心配です.開けてやったらどうしましょうってなるんじゃないですか.
野村
私もそれがちょっとだけ気になっていますね.緊急手術みたいなときは開けざるを得ないときってありますよね.そういうときに若い人は慣れてない.それが心配といえば心配ですね.でも内視鏡外科は広がっていくのでしょうね.
井手
でもいわゆる,立体視できる内視鏡.ダビンチ.あんなの全部の患者さんにやれるわけはないでしょう.
野村
そうですね.
井手
私,大学にいた頃,一番多いときで月に14例やったことあるの.
野村
食道をですか.4週間あったとして1週間に3例か4例.すごい体力ですね.
井手
そんな頻繁にやっていると,じっくり内視鏡なんてやってられません.
野村
先生は体力もすごかったですね.
井手
組んでいた相手の人も良かったんです.村田先生という後輩で,超音波内視鏡の草分けの人.その人が私のグループに来てくれて,それで一生懸命二人でやったときが一番うまくいっていましたね.その先生は外科もやっていたんですが,残念ながら内視鏡医になったのですけどね.
野村
いいですよね,そういうの.ペアを組めるということがうらやましいです.
井手
食道班にはもう一人いたのですけど,体が弱くて,その人はもう食道外科は辞めちゃったのですけどね.
野村
厳しいですよね,やっぱり元気がないときつい仕事ですよね.
井手
でも,やりがいはありますよ.食道外科って非常に面白い.面白いというか,予後がわりと早いでしょう.治しても2,3年経って再発してくる人もいるし,再発しない人もいるし,どこかへ行っちゃう人もいるけど,食道の患者さんは手術した医者によく頼って通院してくれるので,面倒見がいがあるのですよ.

女性医師の立場から,これからの消化器外科医へ

野村
さて,これからの消化器外科学,または消化器外科医に期待することはなんでしょうか
井手
やっぱり病態というか,ある程度臓器とかそういう疾患をまるごと理解して,それに対しての新しい治療法を少しずつ進歩させていってもらいたいと思うし,途中で辞めないようにして欲しいと思いますね.しっかりやっていたと思ったら上の先生からにらまれてノイローゼになって辞めたとかありますので.
野村
そういった方,いらっしゃいますか.
井手
いるみたいですね.優秀だと思っていても,ノイローゼになっちゃったり.きついことを言っているわけじゃないんだけど,私からすればそのオーベンが正当なことを言ってると思うのですよ.だけどそれ言われると今の人はへこんじゃう.
野村
女性のほうが打たれ弱いんでしょうか.
井手
男の人もなりますので,性別ではないと思いますよ.
野村
そうですよね.最近の若い人は打たれ弱いですよね.それは私でも思いますけれども.
井手
むしろ女の人はある程度覚悟してきているから,言われてもなにくそと思ってるでしょう.
野村
そうですね.外科を選ぶ女性はその段階で一般女性とは違う人間が多いので,皆さんどちらかといえば強い方ばかりですよ.ただそれでもやっぱり続かない先生がいらっしゃるのが残念ですよね.
井手
そうですね.
野村
みんな先生みたいになれたらいいのになと思いますけど.
井手
私は辞めると後のためにはならないからしっかり頑張ってやるという気持ちと,母校が女子医だったということを生かしてがんばったらやらせていただけて,ちゃんと勤め上げることができました.
野村
本当に先生のように,女性でもきちんと,幸せに続けられるようになるといいですね.
井手
外国では女性の医師が4割か5割ぐらいいるのでしょう.
野村
国によっては半分以上女性になっている.外科医も半分以上女性って国もあるみたいですよ,先進国でも.女性は外科に向いていますかね.
井手
私は向いていると思う.しつこいから(笑).
井手
なるほど,あきらめないというか.
野村
学生さんなんか教えていても,本来女性のほうが外科に向いているのじゃないかなと思うときはありますよね.丁寧だし,あきらめないですし,いいと思うのですけどね.まだまだ消化器外科は男性が多いです.
井手
制度面でも男女平等が進んでいますから,これから増えてくれたらいいなと思います.
野村
いいですよね.医学部出身者ですともう3割女性なのですけど,消化器外科を選ぶ人はまだ少ないですから.
井手
この頃は消化器外科は男性も少ないでしょう.
野村
少ないです.外科面白いのですけどね.
井手
面白いですよね.
野村
疾患全体を理解する,と先生はおっしゃいましたが,先生は病理におられて,研究することも大事だ,というお考えでしょうか.
井手
レポートをもらって,いくら目で見て分類しても,それで分類にはならないのですよ.本物というか,標本を見てその病気の悪性度とかそういうものを直に見ないと.結局レポートだけ見て何かしようと思ってもなかなか難しいというか.
野村
自分の目で見るのは大切ですよね.最近はそれこそまた研究離れじゃないですけど,研究する外科医が減ってしまっているのですよね.
井手
そうなのですか.
野村
皆さん忙しいというか,それ以上は仕事に時間掛けたくないということなのかなと思うのですけど,残念に思っているんですよね.やっぱり研究面白いですよね.

「やったからには責任取らなきゃ」(井手)

井手
いま,先生の医局には何人くらいいらっしゃるのですか.
野村
中にいる人間ですか.消化器を選んでいる者ですと総勢20人ぐらいですかね.あとは今スーパーローテーションになりますが,若い研修医は回ってはきますけども,この子たちは必ずしも外科希望じゃないというか,むしろ外科希望じゃない子のほうが多いですからなんとも言えないですね.ころころ変わっていきますし,名前も覚えてなかったりします,私なんか.1か月半くらいで変わるのですよね.
井手
それは若い先生でしょう.
野村
上のほうはかなり固定していますけどね.女子医大なんかは何人ぐらいいらっしゃるのですか.
井手
今はもうよく分かりませんが,消化器で30人ぐらいはいるんじゃないかと思いますけどね.いわゆる医療練士っていわれる人と,助手.
野村
うちは私たちが上部で,下部と分かれていますかね,あと肝胆膵も分かれてますので,それぞれ.
井手
うちは肝胆膵は一緒ですね.大腸,上部消化管.
野村
でも忙しいですよね,それで30人だと.
井手
忙しいですね.女子医大は,昔はベッドが他の医局では40ぐらいしかなかったのですけど,女子医大は100いくつありました.そこで結構,再発症例もいっぱい入ってくるし,化学療法もいっぱい入ってくるしというか.そういうことで他の医局よりは患者さんを多く診たので,忙しいのは忙しいですね.
野村
そうですね.リカレンスがいるとまたそれで呼ばれることが多くなったりしますよね.そうなのですか.でも本当は外科医も切って終わりではなくて,最後まで診たほうがいいですよね.
井手
そうですよ.やったからには責任取らなきゃ.
野村
そうですよね.ただ最近のシステムだと急性期病院って銘打って,治療することもできなくなった方は緩和病院に送ってしまうというか.私が研修医のころはそういうのはなかったのですけどね.そこは変わりましたね.
井手
女子医大も緩和病棟っていうのがあるみたいなんですけどね.化学療法の先生が行ってやってくれるんですが,ただ術前術後の化学療法は自分のところでやらないと.
野村
それはうちもそうですね.化学療法はうちでやっています.でも勉強になりますよね.
井手
先生のご専門は.
野村
私は胃が専門です.
井手
今はどんなことを研究されているのですか.
野村
発癌,前癌病変とかそんなのをやっているので,ピロリ菌とか萎縮性胃炎とかそんなことをやっています.
井手
難しいですよね,でも.
野村
難しいですね.ピロリ菌,除菌されるようになってずいぶん胃癌減りましたけどね.ただ除菌をしても癌が出てきてしまう胃はいっぱいあるので,なんとかできないかと考えています.
井手
粘膜切除の割合は結構多いでしょう.
野村
多いですね.よく見つかるようになってきました.
井手
駒込に行っていたときに,アントラムに2Aみたいな小さなポリープがあるから,部分切除したらどうですかって言ったんですよ.そしたら神前先生っていう阪大の先生が院長で来ていたんだけど,駄目ですと言われて怒られちゃった.
野村
駄目な理由はなんだったのですか.
井手
スタンダードに手術をしなさいと言われたの.
野村
今は部分切除とか,そういう方向にいっていますよね.縮小っていうか.
井手
昔の人はそういう考えじゃなかったですから.
野村
そうですね.私も若いころ上の先生たちにそんなこと言ったらとんでもないって言われそうでしたよ.今は確かに減りつつありますね.
井手
でも私が大学にいた頃でも,少しずつ治療法が進歩したり工夫されたりっていうのは自分でも感じられるようなことがあったから,少しずつ医学は進むのかなと思っています.
野村
少しずつ進んでいますよね.長い目で見れば昔と変わりましたよね.それでも癌になる人はなくならないですからね.
井手
杏林大学の消化器外科に,女性の先生で,胆道系を一生懸命やっていた先生がいらしてたんですよね.その方は若いうちにスキルスで亡くなったのですよ.
野村
ええ,かわいそう.
井手
すごくホープだったのですけど.
野村
ご本人がスキルスになっちゃったのですか.それはショックですね.
井手
胆道系だから私畑は違ったのですけど,消化器外科では有名な方だったのですけどね.あとはあまり今の現役の方のことはよく分からないけれども,でも野村先生みたいに皆さんがんばっているから,いいじゃないですか.
野村
ありがとうございます.そうですね,先生みたいにがんばれるといいのですけど.
井手
いえ,私がんばっているわけじゃないのです,不器用ですから.
野村
そんなことないじゃないですか,先生それだけ手術をされて.
井手
手術は器用とかじゃなくて,好きだから工夫していろいろ,そりゃあ下手とかそういうのじゃなくて,なるべく上手に,患者さんに治ってもらおうというあれはあるんですけど,そうじゃないほうは不器用なの.
野村
そうでしょうか,そうは思えないのですけど.なんでもできそうです,先生は.
井手
今でもゴルフやっています.
野村
いいですねえ.私は若いときちょっとやりましたけど,全然才能なしです.駄目です.
井手
才能あるなしじゃなくて楽しめばいいんですよ.じゃないと,男の先生と付き合うにはお酒駄目ならゴルフくらいしか付き合えないでしょう.
野村
先生はお酒飲まれないのですよね.
井手
だから対等に付き合えるのはゴルフですね.ただ,このごろ体力がなくて.
野村
そんなことないじゃないですか.手術する体力がまだおありのようですから.
井手
でもだんだん目はしょぼしょぼしてきますから.
野村
目は確かに若いころとは違いますよね.でも内視鏡の手術ならあんまり関係ないんじゃないですか.
井手
画像も良くなってくるし,そのうち4Kの映像が入るかもしれないですしね.今は立体視もできるでしょう,眼鏡かなんか掛けて.この前学会で触ってみたんですけど,視野は狭いんですけど結構立体的に見えるのですね.若い人は器用だからどんどん慣れていくんでしょう.
野村
慣れるのはきっと早いのでしょうね.
井手
私なんか内視鏡でラパコレで肝臓を押さえてくださいって言われても,スルッ,スルッて押さえられなくて.
野村
あれも慣れですから.先生みたいに開けてやるほうが難しいですよ,絶対.開けて綺麗に郭清するなんていうほうが.
井手
でも,やっぱり手術は左手ですよ.
野村
よく言われますね.
井手
左手がガイドになるんです.それからちまちましてもしょうがないですよね.中山先生はパサッ,パサッと,解剖をよく理解しているんだと思うんですけど,出血させないように切っていく.梶谷先生の手術も見に行ったのですけど,本当に解剖が分かっていて,大腸のレクトゥムのオペなんか,ほとんど縛らないんですよね.ちょちょっとやったらポコッと全部取れちゃった,びっくりしました.
野村
すごいですね,お上手ってうわさですよね.
井手
本当にお上手でしたよ.
野村
そろそろ,お時間になります.本日は女性医師としての長年のご活躍や勉強になるお話,面白いお話をいろいろとお話いただきました.先生,どうもありがとうございました.
井手
こちらこそ,ありがとうございました.